「親権のない親に人権を」共同親権運動に結集を
2008年、子どもに会えない私たちは声を挙げた。親の別れに伴い、自分が子どもと引き離されているのは、社会の問題であると法改正を訴えた。一方の親だけを子育ての主体とする単独親権制度は、親子の引き離しと子どもの連れ去りを生じさせていた。
単独親権制度と親子関係を軽視する法制度を放置してきたつけは、子どもを先に確保すれば親権をとれる、というルールを世間に周知させた。それを知っていながら肯定し、悪用する法曹関係者のモラルの荒廃を生み出した。親による子の拉致の放置、でっち上げDV、親の同意を得ない代諾養子縁組、強制力のない親子交流……無法という名の法が放置されている。
この状況は10年間基本的に変わっていない。他人なら我が子にいつでも会える、しかし親であるからこそ子どもと引き離される。これは差別だ。単独親権から共同親権へ。私たちが求めているのは子どもの親として対等な権利だ。単なる制度の変更ではなく、それを可能とする社会を実現するために共同親権運動を進めてきた。
「子どもに会えないのは何か問題があるからだ。男は金を稼ぎ、女は家庭を守る。一つの家庭に両親がいないと子どもは不幸」
こういった考えが、子どもに会いたい親たちの心情を「問題がある」と傷つけ、子どもに親の愛情を諦めさせ、親子の引き離しを正当化してきた。離婚や非婚・未婚といった多様な家族のあり方が戸籍の形に当てはまらないとき、親権がないことを理由に一律の家族の形から片親を排除する、単独親権制度はそのために機能してきた。
「子どもにとって離婚とは家が二つになること」
養育の責任は双方の親にある。優先すべきは伝統よりも男女平等だ。子どもから見て2人の親に順番をつけることはできないし、子育ては親の権利だ。
私たちは差別の根拠となる制度の変革を実現し、親の権利を回復し、親子双方の関係が心が通いあえるものであるように、援助の手を差し伸べる。その障害となる単独親権制度をこれ以上容認できない。法と社会を変えるために、私たちは国家賠償請求訴訟に踏み切った。
親権のない親に人権を。すべての親子に心が通う結びつきを。そして共同親権運動に結集を。