養育権は親子が親子である権利です

我が子が誕生すれば、すくなくともその子大きくなるまでは親子として関われる。今、私の目の前にいるこの子と私は親子であって、私はこれからもこの子と一緒にいて養育する。この立場を他の誰かに一方的に奪われない。

人が、わが子の親になろうとすると、きっと、これらのことは、当たり前のことだと思っているでしょう。子が生まれれば親子として関われるのが当たり前の国だと思っているはずです。

でも、実は、先進国の中でも日本はこの一番基本的なことをなおざりにしてきた国なのです。親がわが子を養育していくという養育権の保障は日本はとても弱い。

日本の養育権の実情

日本の実態として、2つのパターンが考えられます。

1つは、子どもを養育できるのは当然だと思っていて日本を信じている方。

そうした方が、日本の現実に気が付くのは、もう一人の親と離婚した時や最初から結婚しないで養育しようとした時などでしょうか。日本の現実に皆さん驚きますし、大変ショックを受けます。

たとえば、別姓婚をしようと、夫婦になる二人で約束したとき、まだ、法制化していないために、通称使用という方法が受け入れらなければ、事実婚を選択することを検討するかもしれませんが、そのとき、将来子どもが産まれても、親の一人しか親権者になれないことに衝撃を受けることがあるでしょう。離婚して親権を失うことになったときも、文字通り、養育ができなくなってしまうことになって、初めて知るということもあるのです。

もう1つは、薄々気が付いている方がいるはずです。諦めですね。養育権が保障されていないことを勘づいているし、それは受け入れるものとも思いこんでいる。そういう諦めがあるからこそ、もしかしたら、子どもがお腹にできたら、もう一人の親と結婚しないといけないと思っているのかもしれない。

また、あんまり、男女の属性の例を挙げたくはありませんが、わかりやすい例として、「嫁と別れたらもう子供とは一緒に入れない」と思いこんでいる男性がいらっしゃるでしょう。また、さらに古い考え方かもしれませんが、「男性と結婚しないと家に入れないから、子どもといられない」と思っていた女性もいるかもしれません。諦めは蔓延しているともいえますね。

少子化対策だ、育休推進といったことが世間では言われていますが、まずこの蔓延している諦めをなんとかしなくちゃいけないのではないでしょうか。

「父と子」も「母と子」もともに親子

父親にも母親にも養育権がそれぞれあるはずです。言い換えれば、父と子も親子だし、母と子も親子です。

であれば、それぞれの権利、親子関係がどう尊重されて、どう調整されていくか、その仕組みが必要なはずです。2人以上の人間が関わるわけですから。会社や組織と同じです。場当たり的な対応でいいはずがない。でも、その仕組み自体が皆無と言っていいのが、日本の法律です。

非婚への差別

養育権の保障が弱い理由として、これまで、親の親権について、親同士が法律的に結婚しているかどうかということと結びつけてしまったことに由来していると考えられます。紐づけです。

ある女性が、その子の母親であるというのは、母親だから母親なのであって、その女性がその子の父親との関係がどうあるかということで、親としての立場が奪われたり、削られたりするってことは率直にいって、不合理でしょう。それにもかかわらず、なぜか当たり前に紐づけられています。

冷静に考えてみて、その紐づけ方は合理的なの?というのが差別の問題です。

親の権利と子の利益

養育権の保障を語ると、親の権利ばかりで子の利益が置き去りなのではという「反論」が考えられますが、養育権は親子の利益だと考えています。親子が親子であること、その自然な関係を壊されないことは、親子の利益です。

DV対策との両立

また、DV対策への配慮について指摘もされるでしょう。

DVからの保護については、これ自体大切な議論です。充実したDV対策が実現しなければなりません。ただ、今回の訴訟は、親一般に養育権を保障して下さい、そのためにはちゃんとした制度が必要です、という話であってこのこと自体は実はどんな立場の人からも否定できないでしょう。

養育権を今まで制約してきたことが、結果的に、偶々、DVからの保護に役に立ったという事例は存在するのかもしれません。しかし、それは、養育権関連システムの本来的な目的ではなく、あくまで制約の結果です。その意味で、目的外のことに利用できたというだけのことです。本来の目的に向かって議論を進めている時に、目的外の問題を絡めると議論が迷走してしまいます。

DV対策に力を入れてらっしゃる方には、親の支援に関わっている方も多いと思います。立場やイデオロギーを超えて、親は親として尊重しくださいっていうのは同じです。一緒に養育権がちゃんと保障される国に、という声をあげてもらえると期待しています。

ほんとにできるの? 共同養育

最後に、仲の悪い父母が共同養育など無理ではないかということも反論として想定しています。

別に仲良くやって下さいって話ではないです。むしろ、仲が良くないことが前提です。この話は実は立場を固定的に捉えてしまいがちです。たとえば、子と同居している側の親の立場にだけ視点を固定したり、あるいは別居親に固定したり。もっといえば、どっちかの親の判断が常に正しい前提に立っていたりです。そこを超えて、今回は、誰にでも当てはまる一般的な制度として考えて下さい。

俗な表現ですが、あなたはこの子のお父さんと仲が悪いですね。お父さんの言うことを聞きませんね。じゃあ、この子とはあまり関わらないで下さいねって。こんなことがまかり通ったら私は嫌です。

もちろん、大人だから互いに最低限のマナーは必要ですが、仲が悪いなら悪いなりに、交代で子どもをみるなどそれぞれの方針が最大限尊重される必要はあります。

(2019年7月25日、発足集会での古賀礼子弁護士の発言を進める会が編集)