法務省法制審議会家族法制部会への緊急意見書

進める会では、8月30日に予定されていた法制審議会家族法制部会の中間試案の決定が、自民党の法務部会が了承しなかったため、先送りされたとの報道を受け、緊急で以下の意見書を法制審議会に8月26日に送付しました。

学識者の委員からなる法制審議会は本来、法務大臣の諮問機関です。私たちは、今回の異例の先送りが、独立した審議会への政治介入であることに懸念を示します。法務省は了承を得るべき根拠と、自民党法務部会は了承を与えるべき根拠を示すべきです。と同時に、それを許すほどのまとまりのつかない杜撰な中間試案(たたき台)であったことを指摘し、議論のやり直しを求めました。

正直申しまして、中間試案(たたき台)は、私どもからしても理解するのは困難です。ましてや一般の人からすれば、見てもわからないというのが実態ではないでしょうか。私どもの意見書が今後の法制審の議論に生かされ、私たちが私たちの民法を手にするために役割を果たすことを期待しています。

法務省法制審議会家族法制部会への緊急意見書

法務大臣 葉梨康弘 様
法務省法制審議会 家族法制部会 部会長 大村敦志 様
法務省法制審議会 家族法制部会 委員の皆様

2022年8月26日
共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会
長野県下伊那郡大鹿村大河原2208
担当 宗像 充

 私たちは、主に離婚を契機に子どもと引き離された経験のある親たちからなる団体です。子どもを手元で育てつつ、別れた元パートナーが子どもに会いに来ないことで私たちの活動に参加してくれている仲間もいます。

 私たちは現在、現行の単独親権制度が憲法上の規定に抵触することから、その改廃を求めて、立法不作為の違法性を訴える国家賠償請求訴訟を提起しています。

この訴訟は、民法818条の「父母の婚姻中は」共同親権とする規定が、婚姻外(離婚・未婚、以下「非婚」とする)の単独親権制度を強制し、父母の共同監護が事実上不可能になることについて、憲法14条における法の下の平等に反すると主張しています。子どものことで父母間に意見の相違がある場合、単独での養育という現行の極端な解決の仕方は、不平等であるというだけでなく国家の過剰介入として容認できません。「父母の婚姻中は」の規定を削除し、婚姻外も共同親権にした上で、親権の調整規定を設けなければ、子育てを喜びや幸せ=権利とする、憲法13条による親の養育権はすべての父母に確保されません。私たちはその点を立法不作為とし、国と争っています。

この度の法制審議会家族法制部会の議事録と中間試案たたき台を見る限り、こういった憲法上の観点からの指摘、検討は一切ありません。そこで私どもは有志のメンバーからなる研究会を1年間継続し、別添資料の「改正手づくり家族法草案」(仮称「大鹿民法草案」)を作成しました。過去の民法学者の民法改正案を網羅し、法務省案では欠落している、憲法上の懸念点に配慮した民法改正案となっていますので一読ください。

私どもの意見は以下です。

 【意見】今回の中間試案たたき台は、現状の追認以外に制度の方向性を導いたものではありません。まとまっていない意見のままに広く意見を募るなど無責任です。親権問題に関する国賠訴訟で提起された論点や、「大鹿民法草案」で検討した論点をもとに、以下にまとめた各項目を踏まえて議論を再度やり直してください。

 1 戦後民法改革の流れを踏まえた民法改革を実現してください。

(理由)親権法は、家父長制を基として、明治民法では父に親権のあった単独親権制度を、両性の本質的平等と個人の尊厳という、日本国憲法上の規定に合わせる形で、戦後の民法改革で一部婚姻中に共同親権を取り入れたという経緯があります。その際、家庭内における女性の発言権が弱いことを前提に、親権の調整規定が設けられませんでした。女性の地位向上とともに、共同親権を原則化する法改正がなされることが想定されていたことが、当時の立法案を策定した研究者等の回顧や議事録等を見る限りうかがえます。

現在既に裁判所での親権の取得率は94%が女性であり、子の奪い合いが「親権争い」となって社会問題化しているのは、戦後の民法改革が想定した、両性の本質的平等を回復するための共同親権への法改正を、現在に至るまで国が怠っていたからにほかなりません。

1948年に現行民法が施行される前に公布された「日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律」(以下、「応急措置法」という)では、既に「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚する応急的措置を講ずる」ことが立法目的とされた上で、第6条で父母の共同親権が、婚姻内外を問わない形で明記されていました。

こういった流れを踏まえれば、今回の民法改革においても1947年の「応急措置法」をベースに議論をするほかなく、日本国憲法の価値を尊重するならば議論をそこに戻すべきです。

2 子育てに対する過剰な国家介入を抑止し、単独親権制度を廃し、父母(実父母)が子を養育する権利、子が父母に養育される権利が「基本的人権」であることを前提とした親権議論をしてください。同時に父母の養育環境を維持する国の義務・役割を明示してください。

(理由)戦前における家制度は、国家のための下部機構として「イエ」が想定され、子どもが父母の情愛を受けて育つことは親権制度の前提であったとはいえ、家父長制と単独親権制度の下で、「イエは国に奉仕し、子どもはイエのものであり、国のものである」という序列的な秩序の中でそれが許されていたに過ぎません。しかし、家制度は戦後の民法改革によって廃止されたのですから、それを支えていた現在の(部分的な共同親権制度による現行民法の)単独親権制度は、残滓として残っているに過ぎません。よって、国がその単独親権制度により家族のあり方を規定して正当化し、子どもから父母の片方を奪ってその関係を絶つことは、もはや過剰介入であり許されません。

 戦前の家制度を引き継いだ国の家族支配のあり方を抜本的に見直し、民法に父母による子の養育が基本的人権であることを明示してください。また、一方で国は、その基本的人権を保障するための環境整備が、国の本来の責務であることも同時に明示してください。

 これらは、『子どもの権利条約』前文、9条、18条等で規定される、「親の第一義的養育責任における援助」、「親からの不分離」、及び、「家族への支援」「家庭環境の下で成長する権利」について、今日、国内実施法などによる保障は欠かせないことは明らかです(本来こういった法整備は「子どもの権利条約」批准時にすべきことでした)。

3 親子関係を父母の婚姻関係の有無から独立させ、共同親権を原則としてください。離婚における子と未婚の場合の婚外子の法的地位の差別をなくしてください。離婚における破綻主義を採用してください。

 (理由)戦後民法改革の変遷や昨今の家族の多様性を踏まえれば、父母の婚姻中のみに子を養育する家庭環境を限定することができないのは明らかです。子どもから見れば、結婚や非婚といった、親の法的地位の差異によって、子が親から引き離されることを正当化され、父母による養育という基本的人権が損なわれることは、婚外子差別にほかなりません。現行の婚姻制度を維持するために、離婚と未婚において、子の法的地位に差別を設けるなど絶対に容認できません。

婚姻は、「子育て環境のための制度」という側面から解放され、一義的に「愛情によるパートナーシップ」として再定義されるため、破綻主義的な意味合いが強くなります。なお、司法判断時には、有責主義による「悪口の言い合い」が離婚時における父母間の関係を完全に破壊し、その後の子を間に置いた協力関係の構築を困難にしている現状も同時に指摘しておきます。

4 未成年時の子に対する普通養子縁組制度は廃止してください。

(理由)普通養子縁組による代諾養子縁組や孫養子は、3で挙げた、子どもの養育制度としての婚姻制度を前提として、他方親の同意なく実施されるため、結果として親子関係が絶たれるという理不尽かつ絶大な法的効果を生じさせます。また、孫養子の場合は、本来の養子縁組の趣旨とは異なる、財産の承継を目的として制度が用いられています。イエや親の付属物としての子どもを前提にしているため、父母による養育という基本的人権を損ない、その結果、養父母による虐待を抑止できない事態も起きているため、可及的速やかな対応が必要です。

 養子縁組制度は、父母による養育ができない子どものための制度(特別養子縁組)であるという原則に立ち返り、子どもの判断に未熟さが伴う未成年時の普通養子縁組制度は廃止してください。

5 共同監護を否定するために、監護権を親権から分離することはやめてください。民法766条を削除し、婚姻内外とも「監護者の指定」を廃止してください。


(理由)既に述べたように、戦前は、母親が親権を認められない単独親権制度の下で、母による子育てを限定的に容認するために「監護者の指定」手続きにより監護権を分離するという考えが用いられ、戦後民法改革時に十分な議論がされないまま民法766条に残存していました。そして、この民法766条は“離婚後”の単独親権下における子の監護に関する定めをする規定にも関わらず、裁判所が“婚姻中”に独断で運用を拡大し、婚姻中共同親権下にも関わらず実質単独親権状態を作り出し、絶対的な父母の地位の差を裁判所が生み出すという大きな問題をはらむ手続きとなっています。

 本来は時代の変化、女性の地位向上に伴い、両性の本質的平等を回復するための法的措置として、父母による養育時間の機会均等のための共同監護を原則とする法制度が整えられることが求められます。

片親のみの子育てを温存するために、監護権という概念をゾンビのように召喚する法改正は、現在の実務や家制度を維持すること以外に正当化できません。それを部分的に共同親権とする範囲を明示しなおして誤魔化すこと(単独親権制度の焼き直し)などあってはならないことです。

監護権を親権から分離するだけでは、現在の親権をめぐっての子の奪い合いが監護権に置き換わるだけで、係争が継続するという点で全く問題の解決にはなりません。両性の本質的平等と個人の尊厳という、私たちの不断の努力によって実現すべき価値を、今民法改革で生かせるよう今一度確認してください。現行民法766条を削除し「監護者の指定」を廃止してください。

6 裁判所の親権判断において、養育時間の平等が妨げられない基準を規定した上で、子どものいる父母の関係破綻の場合は「共同養育計画」の作成を義務づけてください。また、養育時間の分担は、子どもの居所の指定によって担保されるよう規定し、その際は、これまで使用されてきた「面会交流」という用語を廃し、新たに「養育時間」という用語を用いてください(「大鹿民法草案」820条)。

 (理由)裁判所の親権判断において、養育時間の平等に対する機会均等(共同監護)を原則としてください。これは、両性の平等を回復するための措置に留まらず、子どもが個人として尊重されるにあたり、父母双方との関係維持を望んだ場合に、最もその目的が達成される方法でもあります。子どもは両親と平等に接したいと希望し、父母の関係が必ずしも良好でない場合、父母が子どものために努力するのを支援するのも国の役目です。国が意見調整規定を定めて支援することにより、子どもをめぐっての意見の食い違いによる、いわゆる「デッドロック」はほとんどが解消されます。

 共同監護の原則の下で、子育てにおいて父母がそれぞれ得意とする分野を活かせるよう、その意向や実情に応じて、国は柔軟な養育計画のモデルを複数示し、父母の関係が破綻した後も子どもの養育責任を果たせるよう、共同養育計画の作成を義務付けてください。

「親権の本質は責任である」という抽象的な議論のもと、父母双方の権限を性役割によってあいまいにする(男が経済、女は家事育児を前提として義務を性で使い分ける)などありえません。また、父母双方の養育権が侵害されることのないよう、子どもの居所の指定を養育時間分担の規律のために用い、近年頻発する実子誘拐を防止してください。

「面会交流」という用語は、本来ともに過ごす親子の当たり前の状態を特別なものと意味付け、共同監護の利点から子どもを遠ざけるため、「養育時間」という用語に変更してください。

7 裁判所の親権判断において、子どもの発言のみを子どもの意向として「子どもの最善の利益」の基準にするのではなく、「何が子どもにとって利益か」をまずもって考えるのは親であることを前提とした制度設計としてください。また、子どもの意見表明権を確保するためには、共同監護が必要条件であることを確認した上で、裁判官が直接その手続に関与するよう手続保障をしてください。

(理由)通常の子育ての場面では、子どもの意見を尊重することが必ずしも「子どもの最善の利益」となることはなく、子どもの意見が道徳規範に反した場合には、全く子どもの利益にならないこともあります。また国が示す道徳規範を子どもに押し付けることが即ち子育てではありません。父母による養育は基本的人権であり、子どもに父母どちらかを選ばせることは児童虐待です。

 特に、現行制度の温存を前提にした中間試案たたき台においては、子どもを連れ去った側が子どもの意向を自在にコントロールして片親疎外を正当化するために悪用するという、現在の悪習も温存させます。『子どもの権利条約』12条による子どもの意見表明権は、「自由に」自己の意見を表明する権利であり、大人はそれを可能とする環境を整える義務があります。父母がその意見対立から能力を十全に発揮できない司法の場では、子どもの手続代理人を通してではなく、決定に責任を持つ裁判官が年齢にかかわらず子どもの意向を直接聞いて、子どものための手続保障を全うしてください(「大鹿民法草案」820条5項)。

8 養育時間の機会均等の原則(共同監護)がないままに、養育費の強制執行強化の法整備だけを先行することはやめてください。また、養育費徴収の継続を目的とする扶養年齢の引上げはとりやめ、議論を白紙に戻してください。

(理由)裁判所への申請件数は、養育費が約20年間で1.7倍(2万727件)であるのに対し、面会交流は6.8倍(1万4,868件)、子の引き渡しは7倍(4,040件)であり(NHK報道)、養育費に対する同居親の不満よりも、子どもに会えない別居親の不満が各段に大きくなっており、子の奪い合いは熾烈化しています。

しかし法制審議会の議論は、現行制度の維持を前提に「一方の親から子を引き離して金を取り、ついでに会わせるための便宜をはかる」かのような道義の欠けた主張が横行し、いたずらに時間を費やしました。このままでは嫌いな別居親に「子どもは会わせたくないけど金はほしい」という、同居親の応報感情と既得権確保のために法律をいじくりまわしている、というそしりを免れません。共同監護の原則化をどう実現するかということも決まらないのに、先に離婚した場合の扶養の話だけを決めることは合理性を欠いています。

まして、子どもが大学などに進学した場合の養育費徴取を確保するために、扶養義務の期間を延長するなど、進学できるだけの経済力のある親の子どもを優遇するためだけに、法をいじるなどあってはならないことです。特にこの点の議論については、共同監護の原則化を前提に、社会保障として教育を位置付けることが必要です。