民法改正にあたっての「ちゃんと共同親権」声明

親権に関する民法改正法案の今日の成立をもって私たち「ちゃんと共同親権」は、以下を確認して活動を終了します。私たちの力不足により、私たちが当初に指摘した法案の問題点を、法改正の議論の中で解消できませんでした。

しかし、指摘した法案の問題点は国会議論の中で明らかとなっており、具体的な課題が私たちの前に提示されています。継続する親子の引き離し、養育時間と養育費とのトレードオフ、共同親権が可能となる事実婚カップルの実践、未婚や事実婚の別離で父親の関与を求める母親の願い、離婚して共同親権の親への学校や役所の扱い、未婚の子への差別の強化……すべてが法改正に伴う新しい課題です。

今回の法改正は終点ではなく、親権議論に止まらず、家族に関する新たな議論のスタートです。

私たち「ちゃんと共同親権」は親権制度と婚姻制度を分離させた法改正を目指してきました。子どもと引き離された経験のある親の立場として、私たちは今回の法案がリニューアルした単独親権制度であることを具体的に示し、2024年3月8日に法案に反対する声明を出しています。

法案審議における「監護権決定を義務化すべき」「合意のない場合には単独親権とすべき」との一方的な主張に、政府は同意していません。しかし、成立した法案は、私たちの懸念を払しょくするものではないため、私たちの反対の姿勢は今も変わることはありません。

共同親権とは、婚姻制度によらず子育ての時間もお金も父母同権であることを可能とする、仕組みと発想です。ところが、国会の議論は父母の共同決定ができるのかにもっぱら時間を費やすばかりで、子どものために父母双方がどうやったら協力し合えるのかの議論が欠けていました。

本来、父母の共同決定の是非を議論するなら、父母の地位の平等と子育ての機会均等が前提でなければいけません。しかし審議の中で明らかとなったのは、現在の司法運用の合法化が法案の目的だったということです。決定権のないことを理由に、司法はその親を子どもから排除して差別してきました。

理念的に父母の責任を法で明示してもそれだけでは足りません。「子育てにおける父母同権への拒否権」を片親に許すなら、「親権と面会交流・養育費は別」という説明は結局、「親権がないから子に会えなくてもしかたない」とする、司法慣行と偏見の言い訳とされてしまいます。

また、司法が父母を評価する基準としての「子どもの福祉」は、司法の理不尽な決定を正当化するために用いられてきました。しかし、一役人の裁判官が、他人の子の父母の優劣を判断するなど、もとよりできません。「何が子どもの利益か」を考える主体はまず父母で、我が子の幸せを考える地位は父母間の関係によってどちらからも奪われてはなりません。そう気づいた諸外国は法制度を実態に合わせただけで、単独親権から共同親権への転換は結果でしかないのです。

一方、小泉大臣は、夫婦の別れが親子の断絶に至っていいのか、という問いが法改正のきっかけだったと繰り返し述べています。そうであるとするならば、なおいっそう父母子の関係は共同親権であるべきです。片親の気分一つで子が親を失う「共同親権の選択」は、共同親権の父母がほかにいるがゆえに、これまで以上に子どもの心を傷つけることでしょう。

改正民法に残る単独親権制度を払拭し、損なわれてきた親子それぞれの権利を回復するために、私たちはそれぞれの持ち場で「ずっともっとちゃんと」取り組みを続けます。

(2024.5.17 ずっともっとちゃんと共同親権)