法制審議会家族法制部会「家族法制の見直しに関する要綱案の取りまとめに向けたたたき台(2)」についての意見書及び質問書

法務大臣 小泉龍司 様

法務省民事局長 竹内務 様

法制審議会家族法制部会長 大村敦志 様 

2023年12月19日

長野県下伊那郡大鹿村大河原2208

手づくり民法・法制審議会(「共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会」内、担当・宗像充)

 私たちは子どもと引き離された経験のある親が立法不作為の国賠訴訟を提起した共同親権訴訟・国家賠償請求訴訟を進める会の有志です。家族法に関する政策集団で、民法改正に関する手づくり民法草案(大鹿民法草案)を起草しています。以前にも法制審議会にパブリックコメントほか、度々意見を提出しています。要綱案の取りまとめが視野に入る中、公表された「たたき台」について懸念を示すとともに、今後取りまとめられる要綱案と、民法改正についての論点を取りまとめ意見を述べたいと思います。

 

1 私たちの立場

 私たちの会は、子どもに会えない経験をした親が中心になり作られ、国に対して立法不作為の訴訟を提起しました。訴訟では国に償いを求めています。それだけでなく、学識者や議員、役人による法案作成のプロセスに対して、直接当事者として意見を述べる機会として訴訟を捉えています。加害行為をやめない司法主導の法制審議会が被害者の声に耳を傾けることに疑問を抱いたからです。私たちが訴訟を提起するに至るまで、我が子との離別という筆舌に尽くしがたい体験を経て、それが現行民法をはじめとした諸制度や司法の問題であることに気づきました。

民法における婚姻外の単独親権規定は、非婚の親の差別的取り扱いの原因となっており、それは、私どもの国賠訴訟の一審判決で東京地方裁判所が言及したことから明らかです。

同時に、その差別的取り扱いの影響は、権利が制約を受けるが故に、子どもと引き離されても自己責任とされる親(父親が多い)、共同親権であれば父母が本来可能なはずの、共同での子育ての機会を得られない子ども、単独での子育てから逃れられない親(母親が多い)等多岐にわたり、私たちは、これら当該の人々が抱える問題は、私たち子どもに会えない親が抱える苦悩とは質を異にするにしても、同根の問題として、等しく解消を求めています。

私たちは、共同親権を男女平等な子育てを可能にするものと位置付けてきました。日本国憲法に規定された男女平等と個人の尊重は、現行民法の単独親権規定に制約を受け、また司法の運用もこの制約を是正するものではありませんでした。したがって私たちは、これら憲法上の権利が民法改革においても保証されるべきとの立場から、今回の法制審の議論の推移を見守ってきました。これら憲法上の権利が尊重されていたなら、私たちは子どもと引き離され、またおびただしい数の子どもが親を失うことにもならなかったと考えるからです。

非婚の親への差別的取り扱いは、これら憲法上の権利を侵害することによって正当化されます。同時にその差別的取り扱いは、婚姻関係にある夫婦の子どもに対する関与の不平等をも、性役割のもとに正当化します。父母の権利が損なわれる原因になってきた国の関与のあり方に対し、憲法上の諸権利における法制度上の配慮をこれまで法制審議会や国の関係機関に、私たちは求めてきました。

2 「たたき台」の問題点~論点外しと親子関係の規律の混乱

 以上の私たちの立場からすると、法制審議会の議論は、男女平等と個人の尊重への配慮に欠け、人権保障の不徹底による疑問と混乱に満ちたものでした。法制審議会は、「双方親権」という「選択肢」を「離婚後」に提示することに道を開きましたが、一方で、新設した不徹底な選択肢を「離婚後」にのみ適用する理由が明らかではなく、各所で整合性がとれない結果が見て取れます。これらは各論点への議論に影響し、委員には無自覚なものもあったかもしれませんが、事務局側の意図的な論点外しが垣間見えるものがあり、以下指摘します。

(1)有責主義と協議離婚の残存

 協議離婚に今以上の要件を課すこと、あるいは裁判離婚に移行することについてはあらかじめ見直しの対象から避けられていることが、事務局や当初の委員の発言からわかり、実際にそうなっている。この結果、離婚時の養育計画を義務化することが検討されつつも、離婚を困難にするという理由で選択肢から外されている。

 ところが、親権者の指定がなされていなくても協議離婚を可能とする規定が新設され(第2、2(1))、離婚と子の養育については別物とされたため、逆に養育計画の義務化を避ける理由がなくなっている。養育計画の義務化が、婚姻外における養育費や養育時間の分担(共同養育)を担保するための根拠であることを考えると、協議離婚制度の是非について突っ込んだ議論がなされていないのは明らかである。

 海外においては裁判離婚が広く適用されている。これは、離婚時には力関係の差が開きやすく、権利侵害への国家介入による弱者保護がその役割として期待されるからだ。そう考えると、DV被害者の保護を理由に協議離婚を現状にとどめることは、倒錯した議論にほかならない。DV被害者保護が失敗していることを、離婚制度で穴埋めすることになるからである。

 一方で、男女平等の観点からは離婚は家の束縛から離脱するための権利にほかならず、実際司法の運用も有責主義から破綻主義の傾向を強めてきた。共同親権は、離婚を権利とする場合に子どもの権利が損なわれないための法的保障であり、有責主義を残したまま共同親権に移行することは同時にできない。これもまた家を忖度した論点外しである。

 本質的に協議離婚は家の都合による「お試し結婚」、「追い出し離婚」を容易にするためのものであり、離婚の不受理届が後に整備されたことを考えればそのことは明らかである。それを弱者保護の手段とすることはできないし、まして、離婚という男女間の問題を理由に子どもの養育責任を明確にする父母間の取り決めを避けるなどありえない。

(2)普通養子縁組

 現在普通養子縁組のもとになされている代諾養子縁組については、共同親権者による養子縁組がなされ、意見の対立がある場合には司法が単独での決定を可能にする法律構成となっている。「無目的」とも言われる普通養子縁組制度は、特に離婚後においては再婚家庭の母(父)の再婚相手を子の父母とすることを前提になされており、結果的に子と親権のない実父母との関係が疎外される(面会交流の取り消し、親権者変更の不可能)ことは司法判断の傾向からも明らかである。

 その結果従来の司法判断を踏襲する司法が、共同親権をもつ父母の意見の調整を求められた場合、再婚した親の意向を単独決定者として優先することは明らかである。もちろん、他方親権者の意向を無視して姓を同一にするなどの理由で養子縁組したい親は、意見対立も辞さないので、他方親権者は現在のように高葛藤を理由に決定権を奪われる結果になる。

 共同親権時における単独決定を司法が可能とするのであれば、この場合の基準が大きな問題になる。しかしそれ以前に、特別養子縁組制度が新設された中、なぜ普通養子縁組自体を残存させる必要があるのか、子どもにとって望ましい制度なのかという議論は、一切なされていない。

 にもかかわらず、養子縁組がなされた場合においては、直近の養親のみを親権者とするという縛りがあり、事実上司法により単独決定権を奪われた実父母の一方は親権が停止され、現状の代諾養子縁組と同様の効果がなされることになる。

(3)婚外子差別の解消

 法制審では婚外子の扱いについて共同親権との関係で本質的な議論はなされていない。父母の権利義務が婚姻と無関係であるとすると、「婚外子」という概念自体がなくなるのは、他国の法改正で実際に実現した法的効果であるが、法制審では婚外子が受けている差別について、それを特定し法的に解消するための積極的な議論はなされていない。

 「たたき台」では婚外子について(第2(3))、子の出生前に父母が離婚した場合(父が特定)、および父が認知して特定されている場合に母が行うとされるが、離婚時の子が父母の共同親権のもとに置かれる可能性があることが法的に規定されるのと比べると、その可能性が最初から排除されている点で、非婚の親を持つ子に対する二重の差別となっている。親権を親の義務や責任として強調する議論が法制審議会で繰り返されてきた中で、この差別的取り扱いはひときわ際立ってる。

(4)不徹底なDV、虐待対策

 法制審では、度々DVや児童虐待の被害者保護の視点から、共同親権に対して否定的な意見が出され、要綱案にも反映されてきた。しかし、DVや児童虐待が、現行の単独親権民法のもとで年々増え続けていることを考えると、別れた相手への個人的な恐怖心と、現実的に親権制度がDVや虐待の防止にどのように役立っているかについては、別個のものとして考えざるを得ない。被害感情への手当と被害の防止は同一ではない。しかし、そういった冷静な議論が意識してなされているわけではなく、その点が整理された中での単独親権制度の改変の議論でもなかったため、今後もこの議論は感情論から脱却できないおそれがある。

 ところで、DVや児童虐待の被害者保護の観点から現行の単独親権制度の擁護のためになされる主張は、被害者が女性で子どもを持っている側という想定しかなされていない。しかし実際には、司法が指定する単独親権者は94%女性であり、DV被害者の男女比は2対3であることを考えれば、単独親権者にDVや児童虐待の加害者が一定割合でいることも事実である。「たたき台」の案は、子どもと引き離された側に試行面会によるハードルが課されながら実効的な強制力の法的担保が欠け、他方養育費については法定養育費のもと先取特権が子を確保した側に与えられることになる。

 これは加害者に国が金銭を与えて引き離し行為を支援する結果にもなりうる。また被害者を経済的に虐待する結果にもなる。しかし、養育費問題は「不払い」問題とされ、支払っている率に対し実際に受領しているのかの調査はなされないまま、法改正が進められるという当事者不在の議論がまかり通っている。

 また、母親の彼氏や再婚相手から児童虐待を受ける割合は高く、そういった面で、現行の再婚養子縁組制度を擁護する「たたき台」の中身では、虐待の加害者夫婦による子育てを親権制度が促す結果になりかねない。

 このように特定の被害者(と主張する者)の利益のみを最大限保護し、家族間暴力の他の類型の被害者は視野に入らない「たたき台」の案は、DVや虐待についての名誉棄損を伴う虚偽申告を野放しにし、被害者保護が徹底されない結果にもつながる。家族間暴力の抑止の観点からすればこれはきわめて危険なものにもかかわらず、あいまいな議論で終始した。

(5)意図的に後回しされた親子関係に関する基本的な規律の議論

 「たたき台」(2)においては、親子関係における基本的な規律について、各論を議論すれば自然に決まる、との棚村委員の提案を受けて棚上げされたが、そんなことが実際にあるのであろうか。

 各論は現状民法の「法的親」(養父母も含まれる)を前提になされているが、共同親権による親権法の新しい統制の目的は、子の父母に対する法的地位は、父母間の関係、なかんずく結婚とは無関係に規定されるべきだという発想からくる。他国でもその方向で議論が収束していることを考えれば、このような議論のあり方は、婚姻制度に親権法を従属させる結果しか生まない。そのことによって子の利益が損なわれることになれば、改革の意味が損なわれるし、そもそも「子の利益」が何であるのかの議論すらあいまいになる。

 私たちは他国で憲法で触れられることもある親の権利が、本来であれば親権という職責によって体現される権利義務の本質であり、父母の権利の平等のもとにそれが担保されるものと考える。それについて「大鹿民法草案」でも提案している。しかしその点についてあいまいにして各論からその原則が導き出されるなどありえない。

3 なぜ議論がなされないのか

 ところで2で記載した論点外しや不徹底な議論の経過に理由が明確に述べられていないのは、意図的なものであると私たちは考える。

 というのも、現在の単独親権制度は、戸主である家父長に絶対的な権限があった戦前の民法に起因し、それについては委員の意見においても触れられる場面があり、他方でそれについての所管官庁である法務省の法制審議会の事務局が、これについて知らないままにたたき台の原案を示すなどありえないからだ。

(1)疑問と質問

 2で示した各点については、戸籍の形式を家族とする家制度(イデオロギー的には家族主義)と法律婚優先主義を前提としたために、あえて論点からはずされたと思われる。この点について、その真偽について法制審議会と法務省の見解について伺いたい。

 

理由は以下の通りである。

(2)歴史的経過からの理由

 現行単独親権民法は戦前から引き継がれたものだ。父に親権者が限定され、子どもも家父長による家族統制のもとに置かれた。しかし、母親に親権が認められないことは男女平等と個人の尊重を規定した日本国憲法の規定となじまないものと、戦後民法改革の中で民法起草者の間では問題意識が共有された。

 戦後の民法改革においては、戸主権と家督相続が廃止され、それに伴う家族間の序列への法的な根拠はなくなっている。しかし、家父長である戸主の権限とされた親権は、婚姻中においては父母双方が持つとしながらも、婚姻外においては一方に限定された。戸籍における夫婦同氏の原則とともに、親権制度もまた婚姻制度を支えそれに従属させられた。

 親権の調整規定が立法されれば婚姻内外問わず共同親権とすることは可能である。また、1947年には応急的な法律によって婚姻内外問わず共同親権が規定されていた。現行民法の規定は、民法起草者に憲法上の理念を何としても実現しようという意欲が欠けていた結果である。婚姻外に単独親権制度を残したのは、家制度との妥協の産物にほかならない。

 男女平等や個人の尊重が当時よりも多くの人に意識され、海外から再び日本の家族法が批判されている今日、求められているのは、置き去りにされた論点を今日の時代状況の中でどう実現するかの意欲である。

 家になじまない個人への追い出しを正当化する協議離婚、家の跡継ぎを確保するための養子縁組、さらには、家の構成員である夫婦による法律婚優先主義を担保する婚外子差別、そして、家の形式を整えるためにその戸籍秩序の枠外にはみ出た家族関係は他人として切り捨て暴力を見過ごす、片面的なDVや児童虐待施策、これらはすべて家制度のもとに、個人への人権侵害行為を容認する法規範にほかならない。家秩序が憲法原則より優先し、それが法制審での議論にも反映されていると私たちは見ざるを得ない。

 その結果、子どもは「法的親」のもとに置かれることこそが家制度上の利益とされ、この「法的親」と子との関係を、実父母の関係よりも優先するために、親の権利をあいまいにし、棚上げした、というのが法制審の議論の経過である。

4 親権決定に関する基準の不在

 親権決定や養子縁組、婚姻外の子への共同親権の付与、さらには子といったん引き離された親が子に会うためには、司法の関与が「たたき台」においては規定される。

 しかし、その基準についてはあいまいである。戦前において所属員の構成やその内部における統制で権限が集中していたのは戸主であり、子どもについては親権者である父である。その一存に基準はないが、戦後戸主が廃止されてそれに置き変わって紛争時に判断を求められるのは家庭裁判所となった。そしてその家庭裁判所の判断にやはり基準はなく、判例の積み重ねで75年後の今日も対応しているのが実態である。今日、司法批判がなされているのは、この判例が人々の意識と大きくかけ離れているからだ。

 民法上、白地委任が規定されている以上、司法判断に対する規制は憲法上の規定しかない。今日、私たちをはじめとした立法不作為の国賠訴訟が多く提起されているのは、家族主義のもと、司法判断が憲法上の規定を踏み外して人権侵害を放置しているため、もはや法規範における統制を司法判断に導入するしかないとの問題意識と現状認識に根ざしている。しかし、この点についての配慮は、法制審議会の議論の中では皆無である。

 国賠訴訟の被告代理人と同一部局の法制審議会の事務局は、提起された問題提起について知っていながらあえて示さず、有識者である委員の意見を求めようとはしない。その上で司法判断における基準を委員に求めても、現状の法制度で司法がなしている基準、つまり前例以上の基準など示されようがない。これは、憲法秩序よりも、戦後形を変えて生き残った家制度のもと残存した家族主義の中で、司法が果たしてきた役割を手放そうとしないからである。

 法制審の議論の中でも、「子どもの利益」についての基準が大きな争点であることは事務局は認識している。また、最高裁判所は親権判断における基準の明確化をやはり求めている。しかしこの問題意識や要請に、立法が応えるためには、過去の民法改革の経過や民法規定の中で、過去司法がなした人権侵害行為を司法自身が反省しなければ、民法改革はただの現状司法の追認に終わる。

【要求項目】

1 父母と子との間の頻繁かつ継続的な接触を奨励することがすべての当事者の最善の利益であるとの理念規定を要綱案に盛り込むこと。その上で、親権者の定め、および面会交流に関する規律の条項における裁判所の司法判断にあたっては、子どもが父母双方から平等な養育時間を得る機会を確保することを考慮することを判断要素として条文に盛り込むこと。

2 民法上の「父母」が実父母であり、養父母等読み替えられたり、性役割のもとに父母で親の責任内容が変わったりしないよう、親の権利の固有性について明示する規定を盛り込むこと。

3 「個人の尊重」を子どもに適用することは、子どもに親がすべき判断を委ねることではない。よって、子どもが父母の養育に関して自由に意見を表明することができる環境を確保するよう司法および父母双方、またその関係者に義務付ける規定を盛り込むこと。

以下の項目は法務省の質問への回答を見たうえであらためて求めるものであるが、上記項目を徹底するために必要な各論的な配慮であるため、あらかじめ明記する。

【各論的要望項目】

(1)子が家の存続の犠牲になることを避けるため、普通養子縁組制度を未成年子に適用しないこと。

(2)養育計画の義務化等子どもの養育のための制度構築は、結婚・離婚とは別立てで可能とする立法措置をとり、決定違反への規制を強化すること。

(3)離婚における有責主義の要件を緩和し、一方で子どものいる父母による野放しの協議離婚制度は規制すること。