6・22判決 国はいったい何とたたかっているのか?

「なぜそうまでして見ず知らずの親子を引き離したいんですか?」

 3月23日の最終弁論では、原告の柳原賢さんの母親のみきさんの意見陳述を古賀礼子弁護士が読み上げた。息子の離婚で子どもと会えなくなり、自身も孫と会えなくなったお母さんにとって、目の前で悩む息子の姿と抱えた問題は、当たり前だけど他人事とすますことはできなくなっていた。みきさんは原告を引き継いだ。

 子どもと引き離されたことによる心痛は筆舌に尽くしがたいものがある。しかし引き離されても「そういうものだ」とあまり悩まない父親も少なくない。「男は仕事をしてなんぼ」という考えは根強い。そういう意味では父親としての自意識も社会によって培われる。

親は子どもが一番最初に出会う社会だ。社会にA面があればB面もあることを、子どもは両親のバックグラウンドを知ることで学ぶ。子どもから親を奪うということは、社会のB面に触れる機会を奪うということでもある。わざわざ一体何のため?

 法制審議会の議論で、単独親権制度の現状維持を外すという方向性が4月18日に一斉に報道された。サミットを前に批判を避けるために政府が家族法改正のポーズを見せるのは以前もあった(G20大阪サミット前の家族法研究会設置表明)。このメッセージが外向けのガス抜きなのは明らかだ。

法制審の委員たちは、自民党の政治介入は許されないと血相を変えて反発していた。今回は与党議員が自慢するこの顛末に、法制審の委員もメディアも反応が薄い。自作自演だったわけだ。しかし一方で、その効果はけして小さくはない。

 子どもの通学先の非開示や家庭裁判所の不公正や人権侵害に対する反発が各段に減った。ぼくたちの訴訟提起以来、一貫して妨害を繰り返してきた憲法学者の木村草太は、相変わらず別居親へのヘイトを繰り返している。しかし「なぜそうまでして見ず知らずの親子を引き離したいんですか?」という問いかけは、以前よりも重い。

金さえあれば子どもは育つ?

 法制審議会のミッションは、「いかに別居親に権利を与えず養育費を徴収するか」である。そのために監護権という屁理屈をひねり出し、選択肢を増やしたのはいいけど、監護権選択の基準を示せずドツボにはまった。「パパお金、ママ家事育児」の性役割の強制が、男性を搾取し、女性のアンペイドワークを正当化する。

もとより、お金と子どもの世話は父母がする、それが可能なように周囲が支え、国が環境を整える。変更を目指すならここなのに、フェミニストが何人もいる審議委員は「男女平等」の言葉すら口にしない。

「金さえあれば子どもは育つ」なんて「餌を与えれば動物園のパンダは死にはしない」といったいどう違う?(実際「面会交流しなくても死にはしない」と吐き捨てた国会議員がいた)。こんな非道な理屈の箔付けはたしかに専門家でないとできそうにない。ただ未来の世代に誇れる議論とは程遠い。

出そろった国賠訴訟一審判決

 4月21日、東京地裁の鈴木わかな裁判長は、自然的親子権訴訟の原告側の請求をいずれも棄却した。これで、単独親権制度(父親個人のもの、最高裁で確定)、連れ去り、面会交流等の損害と立法不作為を訴えた各国賠の一審判断が出そろった。

各訴訟は不当判決ではあるものの、司法は親子関係への人格的利益を肯定している。4月21日の東京地裁判決も、引き離した側の行為の問題で制度の問題ではないと逃げて立法不作為を否定したものの、権利侵害自体は否定していない。

これら一連の国賠訴訟が得た成果はけして小さいものではない。しかし、ぼくたちの共同親権訴訟(養育権侵害訴訟)の立論も政治状況も違いがある。

 一つには、一審判断の出た一連の訴訟では、それぞれ平等権侵害を訴えているものの、それは親権の有無による差別に焦点を当てている。親権は職責であることを、鈴木わかな裁判長は言及しているが、職責であるのは親権によって実現される親の固有の権利(養育権)があるからである。そして親の権利の固有性は憲法そのほかで各国で明示され、婚姻内外問わず共同親権を適用するように法改正を進めてきた。単独親権制度では親の職責を果たせなくなる事態が必然的に生じるからである(この点は鈴木裁判長も認めている)。本件訴訟は、婚姻内外の不平等を問い、それら矛盾をダイレクトに問うものとして提示し、司法の逃げ道を絶った。

 一方、単独親権制度の立法目的を、子どもについて適時適切な決定ができるようにするものとして、一定の合理性を認めた過去の判断に対しては、それは親権調整規定が欠けていることによって生じる問題だ。これでは婚姻内に共同親権を採用した理由が説明できなくなるのだ。

司法が単独親権民法を拒む理由は?

何よりも、新憲法施行時に旧民法の適用を除外した応急措置的に定めた時限立法は、父母の共同親権について、婚姻内外の区別を設けていない。個人の尊重と両性の本質的平等を実現するためだ。婚姻外に単独親権を残した現行民法自体が不合理な要素を内包しており、その改正を75年にもわたって怠って親子の引き離しと単独育児を放置してきた国の責任は重い。

反対意見があるから立法不作為に当たらないという議論は、行政府の意向や立法府の議論に司法は従属するものだと述べているに等しく、司法の独立を自ら放棄したものとして許されない。単独親権制度の維持を法制審が示した直後の司法判断に、裁判官は1名しか署名せず、他の裁判官は「差支え」を理由にする。合議ですらない判断に理由も示さないのは違法である。

いったい国は何とたたかっているのか。このような状況で、憲法判断を避け立法不作為を追認するものならば、その理由は「司法の既得権保護」以外にあるだろうか。6月22日の判決、見逃せない。

2023.05.01 宗像 充