12・22  証人尋問傍聴記

本訴訟もいよいよ佳境に入り、当日は、鈴木博仁教授(中央大学・民法)、濱野健教授(北九州大学・社会学)及び、原告6名の証人尋問が行われた(ティエリ・コンシニさん(在外フランス人議会議員)は  ご家族の事故のため帰国中にて欠席)。

専門家証人

傍聴席もほぼ満席の中、鈴木博仁証人の主尋問からスタート。

古庄裁判長

「親権は親の法的地位であり、かつ親の権利である」ことを日本国憲法(以下「C」)第13条を論拠に主張され、さらにドイツ基本法(以下「GG」)62項の規定の「仮に親権を全て剥奪されても親たる地位は保全される」との理念を示し、現民法の規定が親の権利を無視している部分がありCとの整合性に疑問があることを示された。

「面会交流」についても、日本には法的な位置付けがなく、それが果たして権利であるのか否かも明確にされていない状況は、法的な不備と指摘せざるを得ない。

これは、婚姻の解消もしくは婚姻していないことによって、子供から見ての法的保護者が一人にされてしまう事態を招くものでもある。

さらに、連れ子の養子縁組につき、日本以外のおおよその国では裁判所の許可が必要であり、ドイツではそれに加えて社会福祉的な支援も必要とされている、国家が婚姻や家庭を管理するのではなく、状況に応じた適切な支援策を制度化していることを指摘された。

「単独親権制度」は、C第13/14条に照らしても、幸福追求権及び個人の尊厳を損なうものであるし、また、平等原則にも著しく違反しており、理論構成から見ても、子供に一人しか親(親権者)が与えられない点から見ても、Cとの整合性がない差別的な制度と言えると結論づけた。

反対尋問では、共同親権が導入されることで円満な夫婦にどのような影響が考えられるかとの質問に対して「変わらない」、また養子縁組を否定するなどし子の利益を著しく損なう別居親への対策は「親権を停止すれば良い」、ステップファミリーが再婚・再々婚・再々々婚する場合などについては「現状では制度的支援がない」とした。

発言中、たびたび「ドイツ少年局」について言及されたが、ドイツはかなり早い時期から「子の権利」に関する議論が成熟しており、子への福祉理念を中心にして「子の権利主体性」が実体法的/手続法的に担保されてきた経緯があり、親(大人)の支配的な発想から脱却できず、親権議論そのものまでも家父長制的発想に堕している日本の状況に注意を喚起し、子の利益に資する福祉制度の充実が急務であることを訴求する意図があったように感じられた。

濱野健証人の尋問は、2022年2〜3月にかけて行われた「離婚や別居に伴う「別居親」の実態調査」(実施主体:子育て改革のための共同親権プロジェクト 代表 松村 直人/ 北九州市立大学文学部人間関係学科 教授 濱野 健 )の内容が主となった。

古賀弁護士の尋問

個々の尋問について証言すると言うよりも、アンケート実施主体の一人である濱野証人の分析結果について証言する形になったが、特に、いわゆる「理不尽な連れ去り」に直面した直後の被害者の悲嘆に対する心理・社会的なケアの絶対的な不足、及び、有効性に対する疑問が主張された。

行政などの公的機関、心理士・精神科医などのメンタルケア担当、弁護士などの法的助言者など、いずれも、いわゆる「理不尽な連れ去り」に伴う悲嘆に対して、初期に有効な心理的支援を提供することができておらず、この面での支援充実が急務であることも併せて指摘された。

支援内容についてもそうだが、そもそもどのような支援窓口があるのか、どのようにして支援につながれば良いのか、渦中におかれた被害者にはわかりようもなく、こうした茫然自失状態に置かれることで(逆に言えば、連れ去りにより茫然自失状態にすることで) 、初動での有効な反撃が封じられている側面もあると考えられる。

これは逆に、DV被害者にとっても同様の事象が起きる可能性があると言え、その悲嘆についても我が痛みとして捉えるだけの想像力が必要であるとも感じた。

濱野証人の発言でもまた、支援制度の不備につき言及されたわけだが、福祉支援がなかなか適切に整備されない現状、また福祉が「国家からの慈悲」と相変わらず捉えられている点など、日本の福祉制度の特異性や実効性について、(比較)家族社会学の立場から濱野教授の更なる研究が待たれるところである。

法を改定する行為は、ただ法文を新しくして文言でだけ対損害に配慮すれば済むというものではなく、関連する人、全てに対する支援が、同時に制度化されるのではなければ、一部の人にとっては暴力ともなり得る事実を、濱野証人の証言から伺うことができた。

原告本人尋問

裁判官

休憩を挟み、続いて原告側証人尋問、小畑さんの証言から再スタートとなった。

協議離婚をしたが、その際の条件として、

・子の経済的な安定性を優先し、親権は父親

・二週間に一回の宿泊つき面会交流

・子の学校行事への参加

を協議書を書いて定めた。

しかし、約束に反して。離婚成立後に、子供に届けた服や料理を子供の目前で捨てられたり、学校行事への参加もシャットアウトされた。離婚後2年程度は面会交流は続けていたが、子供が父親に気遣いをするようになり、かわいそうで会えなくなった。

元夫は2021年に死亡したが、行政からも近所からも、家族ではないと言うことで連絡は一切なかった。友人から噂として聞いて家を訪問したが、寒さの中、子供は暖房もなく震えていた。共同親権であれば、私にもすぐに知らせが来て、このような事態は起きない。

先日、次男と半日過ごしたが、彼の目に私は、元夫に対して、卑屈で情けない残念な母親として映っている。子供のことを思えばこそ、卑屈にもなってきたのだが、とてもショックだ。

この裁判に原告として参加したのは、このような残酷な状況を親子共にもたらす単独親権制度を、絶対に残したくないからだ。

染木さん

30年近く前に離婚をしている。二女一男があった。

初めの数回のみ、月に一度の面会交流がなされていたが、相手方がついてきて面会内容に干渉するようになった。

その後も面会の不実行が続き提訴して勝利したが、知らないうちに元妻が再婚し子供は養子縁組をされていた。それについても提訴したが、裁判官から「養子縁組されたら諦めろ、子供も会いたくないと言っている、手紙に『父』とも書くな」とまで言われ敗訴した。

それ以降は、他の離婚家庭の面会交流を支援するための活動をしている。

仮に別れ別れとなっても、親子は親子であり、それを法的に担保するのは共同親権以外にないという強い思いから、この裁判に原告として参加している。

清宮さん

10年ほど前に妻側の「連れ去り」に際会し、別居後に離婚をした。元々、毎日一緒に寝るなど、ごく普通の親子関係を築けていたと思う。

調停により、月に一回二時間程度の面会交流が決定されたが、私が妻側の弁護士を「連れ去り教唆」などで訴えると、妻の恣意により面会交流が中断させられることもあった。

現在は、月に一回、午前九時から午後四時半まで会うことができ、長期休みには宿泊つきで旅行などにも行けている。

そういった際に娘が言うのは「パパに自由に会えない私は障害者と一緒だ」ということ。娘の本心としては、ママとパパには、離婚しても仲良くしてほしいということ。

単独親権制度は、親権を0か100かで争う制度で、法的に不備があると言わざるを得ない。仮に母親が娘を虐待したとしても、誰も知らせてくれない。

子が親に自由に会えないのは、精神的なDVではないのか。

しばしば自殺したい誘惑に駆られる。友人も2021年初めに子を連れ去られ、その夏には自死してしまった。一つの親権を取り合うことになるから、こんな争いや悲劇も起こる。

この訴訟には、薬害エイズ訴訟と同じ気持ちで参加している。人が死んでいくのを放置する制度は、どう考えても納得がいかない。単独親権は、汚染血液に例えられる。こういった毒をそのままにしてはおけない。

宗像さん

15年ほど前に、元パートナーと同居を解消した。事実婚だった。元パートナーの連れ子が長女で、ふたりの間には次女ができた。

次女が生まれた時は自宅出産を選択したので、出産時の介添えも一生懸命にした。私はライターで比較的に時間の自由もあり、保育園への送迎や近所の公園で遊ぶなど、養育にも積極的に関わってきた。

同居を解消したとほぼ同時に、元パートナーは現在の彼女の夫と同居を始め、私は子供を大分の実家に預けていたが、子供の生育環境を変えたくないため、東京に引き取り一緒に暮らした。

その年に元パートナーは現夫と入籍し、子供たちを養子にした。同時に親権がなかったため子どもを人身保護請求で奪われた。

その際に交わした合意書では、面会交流が明記されていた。しかし、約束が守られなくなり、子供との関係を維持するために調停を起こした。二ヶ月に一回二時間という結果が出たが、次女がマザー牧場に行きたいと言った際などでも、裁判所は時間を制約を課したままだ。

面会中は、普通に買い物をしたり、動物園に行ったりしていた。しかし、次女が中学生になり、面会交流に消極的であるとの理由で取り消しの調停を申し立てられた。

面会交流は親子の命綱であると思うのに、裁判所は高葛藤であるとか父母の対立が著しいとかの理由で、良い結果を出さない。

親権の「ある。なし」でしか人を見ないため、私などは裁判所からは、親として見てもらっていない。

どこの家庭でも、みなさん悩んで子育てをしていると思う。親は最初から親であるわけではなく、子供に親にしてもらうという側面もあると思うし、それも親の権利とも思う。

「お父さんがいてよかったね」と言ってもらえる判決を望んでいる。

裁判官

森田さん

10年ほど前に、妻に3人の子供を連れ去られた。その約4年後に裁判で離婚が確定。

同居時は、お風呂には毎日入れていたし、おむつ換えやミルクの世話などもしていた。妻が仕事で忙しいときは保育園の送り迎えもしていた。

別居後は、月に2〜3回のペースで子供と会えていたが、だんだん会えなくなり、3年後くらいに面会交流調停を申し立てた。月に1回、長期休みには宿泊付きで会える決定が出たが、その内容の通りには行われていない。直近3年間では、年に1回程度の頻度でしか会えていない。それに対して抗議すると、家裁からは「高葛藤」と見做される。面会の履行勧告も6回したが、時間が取れない、子供たちが会いたがらないなどの理由で1回も勧告は守られていない。従わなくても罰則のない履行勧告は、意味を持つとは思えない。手紙や電話での交流にしても、強制力を持たない。守らなくてよい制度は、無意味であるし、法の不備であると思う。

離婚してのち、子の「養育」には一切関われていない。子の成長に立ち会えないのは忸怩たる思いだ。時間は取り戻すことができない。

「会わせたくない親」を「会わせる親」にする法の運用が必要だ。連れ去り勝ちという今の状況は、北朝鮮による拉致と同一の問題なのではないかと感じる。

子供が、成長に従って出てくる選択肢に迷った時に、寄り添うことができないのが口惜しい。

吉田さん

7年ほど前に結婚し、その1年後に長男が生まれた。その3年後の正月に妻の実家に子供連れで帰省した際に、3日後に帰るとメールがありながら、その当日の午後になって離婚したい旨のメールがあり、以来別居が続いている。

同居中は、妻が週に4回ピアノを教えていたこともあり、午後5時以降の主たる養育は私が担っていた。妻の帰宅は午後8時〜10時くらいだった。同居時から、妻の実家は、子育てなどの家族生活に強く干渉をしてくる傾向があった。未だに、妻の離婚請求事由は謎のままである。

別居した年の6月に、婚費6万の支払い、月に1回以上の面会交流が決まり、年に2〜3回のの宿泊交流も妻の実家のある富山でできているが、去年、審判があり、面会交流は月に1回以上から、月に1回とはっきり定められた。

そもそも、妻と自分は未だ婚姻中であり、従って私は親権者であるのに、なぜ子供に会うことができないのか理解できない。長期の宿泊面会は絶対に必要だと思う。

また、会うだけではなく、子供の成長に手を貸すこともしたい。養育がしたい。

養育や子供の日常から私は追いやられて、子供は母親に育てられ、父親とは「たまに会うもの」と認識されているのが実情だ。

離婚や別居などで、親子がこれだけ会えなくなるのは異常である。日本の現状はカオスとしか言いようがない。どうか秩序を法的にもたらしてほしいと思い、この裁判に参加した。

以上で証人尋問は終了し、次回期日は3月2日(木)午後2時からと決定された。