「共同親権で何が変わる、何を変える」Part2レポート、動画あり

7月23日に表記の討論会を進める会総会に合わせて塩尻で行いました。動画は以下から。左から嘉田由紀子さん(参議員議員)、久米泰介さん(マスキュリスト)、宗像充(共同親権運動)

終了後の記念撮影です。

討論「共同親権で何が変わる、何を変える」Part2

日時:             2020年7月23日(木・祝)14:00〜16:45

場所:             長野県塩尻市えんぱーく5Fイベントホール

パネラー:        嘉田由紀子(参議院議員(碧水会)、元滋賀県知事)

(敬称略)           久米泰介(マスキュリスト、アメリカを中心とした男性の権利運動を

日本に紹介している第一人者)

宗像充(ライター、共同親権・国家賠償請求訴訟を進める会代表)

討論「共同親権で何が変わる、何を変える」Part2

日時:             2020年7月23日(木・祝)14:00〜16:45
場所:             長野県塩尻市えんぱーく5Fイベントホール
パネラー:       
嘉田由紀子(参議院議員(碧水会)、元滋賀県知事)(敬称略)          
久米泰介(マスキュリスト、アメリカを中心とした男性の権利運動を日本に紹介している第一人者)
宗像充(ライター、共同親権・国家賠償請求訴訟を進める会代表)

  • 討論のテーマ/パネラー3名の話(要約)
  • 嘉田由紀子さん

嘉田さんは、当日60枚資料を用意していましたが、現在の日本の家族法制がおかしい点、問題解決には家族主体の省庁が必要な点、女性の有業率/出生率の/財政の相関性、政治家としての日本の家族の幸せに対する問題意識や取り組み、離婚件数増加の社会問題化、直近の法務委員会周りの動静についてお話し、最後に、参加者に対する3つの提案をしていただきました。

  • 現在の日本の家族法制はおかしい
  • 昭和22年の民法改正で男女同権になったが、男女の役割分担意識は大変根強い。
  • 1979年の「日本型福祉社会制度」で、当時の自民党は扶養家族・専業主婦優遇税制度・専業主婦政策を一貫して整備した。
  • 一方、多くのヨーロッパ諸国では1970年代に政治経済分野の女性参画が進んだ。
  • 家族法制改革には家族主体の省庁が必要
  • 子ども家族制度には①経済的支援(児童手当、児童扶養手当等)、②保育サ―ビス支援、③結婚・親子関係・離婚・養子縁組等家族法にかかわる社会的構造分野の3分野が必要。
  • ①、②は比較的よくできているが、③は子どもや家族主体の省庁ができないと動かない。

→参議院法務員会で表面上は少し動いたが、共同親権への民法改正はまだまだ遠い先。

  • 女性の有業率/出生率の/財政の相関性
  • 実は、日本は1975年から少子化に入っている。
  • 女性が仕事すると子どもが生まれないと言うが、女性の有業率が高い国の方が出生率は高い。
  • 北欧は出生率も女性の有業率も高く、財政も安定している(男女とも納税者で社会参画)。
  • 日本・韓国・ギリシャは女性の有業率が低く、財政も不安定、男性中心社会で出生率も低い(納税者が片方のみ)。
  • 政治家としての日本の家族の幸せに対する問題意識や取り組み
  • ①子供が産めない、②環境破壊、③財政負担(不要な公共事業削減)の3つをねらいとして、2006年に滋賀県知事選挙に出馬。
  • 「税金の無駄遣いは勿体ない」「子どもが生まれ育たないのは勿体ない」「琵琶湖の環境を壊しては勿体ない」の3点を訴えて、選挙を勝たせていただいた。
  • 政治家として「どのように日本全体の家族の幸せを作ったら良いか」が大きな問題意識。
  • 「住み心地日本一の滋賀」ということで、「子育て三方良し」制度は、子どもも親も幸せ、結果的に社会の持続的安定を目指した。
  • 子育てと仕事を両立できるような、「マザーズジョブステーション」(女性向けの就労支援センター)を設立、日本で最初のファザリングフォーラムを開催。
  • 実績を国政へ。離婚後の子どもの経済・精神・社会性支援、共同親権等25項目を列挙。

→駒崎氏が突然ネットで何万人かを対象にツイッターで「嘉田由紀子落選運動」を開始。

  • 離婚件数増加の社会問題化
  • 離婚件数は昭和25年からずっと増加。
  • 昭和20年代の出生数は280万人、親が離婚した子どもが8万人、86人に1人。
  • 昨年は86万人、親が離婚した子どもが21万人、4人に1人。明らかに社会問題。
  • 政府がやっとひとり親世帯の貧困問題に着手、単に養育費を取れば良いという話ではない。親権を奪う一方で養育費だけ義務化する国家はどこにあるのか。
  • 24カ国の親権・監護法制の比較結果で、日本以外で単独親権はインド、トルコのみ。
  • 日本は協議離婚が9割だが、養育費・面会交流・共同養育計画が義務化されておらず、離婚後の子どもたちが、経済的、精神的、社会的に無法地帯に追い出されている。
  • 日本が大変いびつな状態にあることを、子どもはもちろん、当事者も社会全体も自覚していないため、皆さんのように片親が子どもと会えないという問題が見えてこない。
  • 2012年に民法766条が改正され、離婚届に養育費と面会交流の項目が追加されたが、チェックをしなくても離婚届けを受け取る市町村の現場で中身は何も問われない。
  • 直近の法務委員会周りの動静
  • 法務委員会で子どもの最善の利益について17回質問(今年9回、昨年8回)。
  • 今年1月、「養育費取り立て確保を要望する」というような面々(赤石氏、駒崎氏など)が、「養育費の取り立て確保に関する要望」を法務大臣に提出。要望書の4番目に、“共同親権など親権の在り方とはリンクさせないこと”を記載。
  • 法務大臣は私的勉強会実施、6月に自民党女性部が安倍総理に養育費義務化のみを提出。
  • 共同養育支援議員連盟は「子どもの養育に関する合意書作成の手引とQ&A」を提出。
    “未成年の子どもがいる離婚の場合、養育費と面会交流の双方を内容とする、共同養育に関する取り決めを原則義務化、協議離婚成立の要件とする”、と要望書にはっきり記載。
  • 法務大臣は家族法研究会で研究中と繰り返し言っているが、研究会もかなり思想・イデオロギーの問題になりつつある。

→問題点は、雑誌「Hanada」5月号の牧野のぞみ氏、7月号の三谷英弘氏の記事に記載。

  • 参加者に対する3つの提案
  • 私は皆さんに3つ提案したい。
  • 「離婚後の子どもたちの具体的で生々しい声を社会的に発掘し、発信できないか」
  • 「海外各国がいつ頃、どのような社会的活動で共同養育・共同親権になったか」
  • 「それぞれの居住地の市区町村長・市区町村議会議員に、離婚後の子どもや父母の問題について具体的に呼びかけ、共同養育になった時の行政施策を打てないか」
  • 共同養育・共同親権になったら市区町村長にはDVや児童虐待は歯止めをかけてもらい、父母に葛藤があっても父子・母子関係は共同養育で進めていただく。
  • 世界中ができているのに日本ができないはずはない。ドイツは1982年に法律を変えて、今、同養育で成り立っている。諸外国の例も含めて、この運動を大きくして欲しい。
  • 久米泰介さん

マスキュリスト(男性差別をなくし男女平等を目指す運動家)の久米さんは、フランス大使館の勉強会兼昼食交流会の件、法制度(親権制度)における男性差別についてお話していただきました。

  • 法制度(親権制度)における男性差別
  • 私は共同親権のためだけでなく、男性差別を無くそうという活動を行っており、離婚した場合に男性側が不利となってしまう世界共通の問題にも言及させていただいており、「法制度における男性差別」という本で、親権や養育費、面会に関する事を書いている
  • フェミニスト団体は面会交流に抵抗を示し養育費を推す方針を取ることが多く、父親の権利運動は、子どものことを考えて面会交流し、共同養育を進めるようとするため対立が起こる。この運動はアメリカやカナダでも大変苦しい戦いがあった。
  • 心理学で学んだ資料では、面会交流が不履行だと養育費の回収率は下がる。
  • 養育費の回収率の測定方法にも問題があり、親権者(主に母親)養育費が回収されているかを聞くため。バイアスのかかった情報源となる。
  • 実際に養育費が払われていても払われていないことにされ、父親が養育費踏み倒しの悪人にされてしまうという大きな問題がある。
  • 男性を一方的に悪者とする法制度の不利益があることを無くしていくのも、男女平等の一つとして大切だと思い、現在の活動を行っている。
  • 宗像充さん

「どうなる?婚姻制度と非婚の親」というテーマで、離婚/非婚における共通/非共通部分の問題提起として、非婚の親としての共同親権との出会い、国側の答弁書~婚姻制度の意義、別姓、同性婚と婚姻制度、共同親権と家族のあり方をついてお話していただきました。

(この場合の「子ども」は、親子関係の「子」ではなく、小さい子どもという意味の「子」で、「裸の子の福祉」と言うが、このような「子どもの福祉」の解釈がある。)

  • 非婚の親としての共同親権との出会い
  • 片親引き離しに介入し続ける元妻の夫(養父)
  • 先日、子どもとの面会交流の際に妻の夫(養父)に邪魔をされた。
    養父としては良かれと思ってやっている(自分の家庭に私が時々邪魔をする。)。
  • 私は事実婚で親権が無く、人身保護請求で子どもと引き離され会えなかった経緯がある。
  • 元妻が再婚し私の友人が養父となったが、母親も養母となり、現在は養父母の家庭。
  • 現在の民法では、子どもを「嫡出子」にするのが家にとって一番良いという考えがあり、民法上、「非嫡出子」を「嫡出子」にするには、母親とも養子縁組する必要がある。
  • “子どものことを一番考えるのは実父母である“という本来当たり前の前提なしに、裁判所や民法学者が規定し、一般的な「子どもの福祉」があるかのように言っている。
  • 離婚後共同親権、婚姻外共同親権
  • 「離婚後共同親権」という言葉を使うと、離婚後の共同親権のみを議論すれば良いという話になるが、実際に単独親権なのは離婚と未婚(非婚)。
  •  「単独親権を撤廃/廃止する」と言うが、それは婚姻中/婚姻外に関わらず、単独親権に合理性が無ければ、民法上はどんな親子関係でも共同親権にするのが良い。
  • 「共同親権導入」の危うさ
  • 「共同親権を導入する」と言うと、導入できる人たちだけ共同親権、できない人たちはあなたたちが悪い、と一層差別される構造になりかねないので少々危うい。
  • 子どもに会いたい親だけでなく、養育を放棄し逃げる親もいる。
    揉めるので単独親権としてしまうと、養育費不払い、非認知、堕胎等が解決できない。
  • 離婚していない方々は、「親権者なのに子どもに会えないのはおかしい」と言うが、「親なのに子どもに会えないのがおかしい」と言えばよい。
    「親権者なのに子どもに会えないのはおかしい」と言うと、逆に、「親権が無ければ子どもに会えなくても仕方がない」、ということを肯定することにもなる。
  • 国側の答弁書~婚姻制度の意義
  • 国側が守りたいのは「婚姻制度の意義」
  • 共同親権・国家賠償請求訴訟の国側の答弁書では、単独親権の合理性の根拠として「婚姻制度の意義」と何回も書かれている。
    婚姻関係があることで協力できるのだから、婚姻中の共同親権には意味があるし、婚姻していなければ協力できないのだから単独親権で良い。
    実際は、婚姻していることと、子どもの事で協力できることは全然一致していない。
  • 「婚姻制度の意義」は非婚の親への差別
  • 現在の婚姻制度の背景に、正式な結婚の下で子どもを生むことが国に貢献できる、という非婚の親(内妻、「2号さん」。「お妾さん」)に対する差別発想がある。
  • 別姓、同性婚と婚姻制度
  • 戸籍(家制度)とセットの婚姻制度
  • 現在の婚姻制度は戸籍とセット。父/母/子の関係以外を非正式とし差別する(内縁化)。
    男女で結婚/同姓を名乗る/婚姻中のみ共同親権で、それ以外の形式を認めない、結婚を国が認定する代わり、その形式を受け入れなければならない(強固な岩盤規制)。
  • 別姓訴訟、同性婚訴訟
  • “強固な岩盤”に、共同親権訴訟、夫婦別姓訴訟、同性婚の訴訟の3つの訴訟が挑戦している(婚姻制度に係る規制を緩和し、結婚の中身を軽くする方向性は一緒の訴訟。)。
  • 共同親権と家族のあり方
  • 現在の婚姻制度への対処法
  • 事実婚を選択する人がいるが、これは逆に単独親権を矯正される。
  • 事実婚だと共同親権が持てないという理由でフェミニストの方が結婚している。
    (婚姻以外でのパートナーシップが単独親権だという知識は既に出回っている。)
  • 共同親権には相手に安心感を与え、責任を取ってもらうという両方の意味がある。
    共同親権になると、結婚/事実婚を選択しなくてよくなるため、相手とのパートナーシップはより相対化されていく(結婚は手段となり、同性も強制されない。)。
  • 一夫一妻のもとでの共同親権
  • 7月22日の親子ニュース“アメリカでは事実上の一夫多妻制が起きている。” (橘玲氏)
    女性からするとハイスペックな男と結婚するチャンスが広がる、男からすると、モテる男しか結婚できなくなる(男性は有利とは必ずしも言えない)。
    共同親権が実現した場合は、結婚制度を変えないと結婚する必要が無くなくなる。
  • 多夫多妻があるべき姿だが、歴史上多夫多妻は無かった(男女関係の混乱、無秩序。)。
    一夫一妻制のもとの共同親権制度を、みんなで探っていかなければならない。
    愛している人がいるなら「とりあえず結婚しちゃえば。」(古市憲寿氏)
    子どもができたら、結婚制度とは別に、親としてずっと負わなければいけない社会的責任ができる、というのが共同親権のあり方になる。
  • 男女間以外も含まれるパートナーシップと、親子関係が分離されていく中での婚姻制度。
    アメリカ;「とりあえず結婚しちゃえば。」を地でいって、離婚再婚を繰り返す。
    フランス/スウェーデン;「パックス」、「サンボ」のような同性婚の関係も適用できパートナーシップが発達。(結婚自体の重さは変わらず。)
    日本がどちらに行くかは分からないが、日本が共同親権に移行することによって、何らかの形で取り入れて対応していかなければいけない。
  • パネラー3名のお話(全文)

本日は、討論のテーマについてパネラー3人にお話をしていただきます。この問題は、「子供と引き離された親の問題」として扱われることが多いですが、実際は親権制度、婚姻制度という民法の様々な規定や、家族の在り方や社会の在り方にも関わっており、実際に制度が変わることで、どのような変化が起こるのかをお話いただければと思っています。現在は男性が家庭に進出することが家庭・家族のためになるということが問われていますが、一方で、女性(母親)が家にいないと家族は不幸だということも言われてきた経緯があるので、そのようなことをお話いただきたいです。

  • 嘉田由紀子さん

本日のテーマの「母親が家にいないと家族は不幸だ」ですが、私はなぜ仕事をして子育てを放棄するのか、とずっと言われ続けました。琵琶湖畔に住みながら永田町に行き、国政に参加することになったのは、県政では流域治水(災害対策)、共同親権の問題の本質を変えることが出来なかったためです。

子どもの幸せを考えた時、やはり現在の日本の家族法制はおかしいです。私は埼玉県の養蚕農家で生まれましたが、跡取りを生むか産まないかが女の役割という所で、男尊女卑の家制度の中にいました。母が結核になりながらも兄弟3人を育てて大学まで行かせてくれました。

明治30年に出来た現在の民法の基本となる民法は、武士の家族制度なのです。庶民はお互いが共同し合って助け合い、男性も子育てを、女性も外の仕事を、というように、両方が積極的に関わってきたのですが、そこに明治民法の家族制度が入ってきました。

私は1971年のアフリカ研究で、一夫多妻型の拡大家族の中で女性と子どもが本当に元気であることを知りました。その後、アメリカ留学中に長男を授かりますが、その時の家族心理学の先生に、「ユキコのように達成意識の高い女性は専業主婦にならないほうが良い。自分で稼ぎ納税者になって子育ては国に面倒を見てもらいなさい。」と言われました。

私は銀行経営者の家に嫁いだので、長男の嫁として本当に軋轢の中で仕事と家庭の両立に悩みました。2006年に知事選挙に出る時に離縁されたのですが、1976年の婚氏続称制度に救われ、著書や色々なものを「嘉田」で出していたので、離婚後も「嘉田」性を使っています。

さて、日本では子供の親権が尊重されにくく、時代の変化に即した家族法制の制度的対応が遅れています。昭和22年の民法改正で一応「男女同権」になりましたが、男女の役割分担意識が大変根強く、現在も子育ては女性の役割で、子供は母親の所有物になりがちです。1979年、当時の自民党の「日本型福祉社会制度」では、「女性が働くと温かい家庭が破壊される」として、扶養家族・専業主婦優遇税制度・専業主婦政策を一貫して整備しました。

私は長男、次男を産み、2人の子供を抱えながら滋賀県の琵琶湖研究所という所で研究職をやっていましたが、本当に白い目で見られました。朝、保育園に子供を送って仕事に出る時も、「嘉田さんはハイヒール履いて外に出慣れている」と周りに噂され、主婦仲間から一種の蔑みと憧れになっているという状況の中で、一番苦労したのは、なぜ嘉田家で託児所に子供を入れて仕事に出るのか、と言う「嘉田」の家でした。このような事は、大企業や労働組合、政治経済分野でも起こっていました。一方、多くのヨーロッパ国では1970年代に政治経済分野での女性参画が進みましたが、日本の政治は家族関係に不介入という構造が今でも残り続けています。

知事時代からずっと勉強しながら政策を行ってきましたが、子供家族制度には3つの分野が必要です。①経済的支援(児童手当、児童扶養手当等)、②保育サービス支援は、日本は比較的出来ていますが、③結婚・親子関係・離婚・養子縁組等家族法にかかわる社会的構造分野、これを一貫して日本は政治も行政も関わらず放置していたために、片親親権が明治民法のまま今に残っているということを改めて発見しましたが、子供や家族を主体にした省庁ができないと③の問題は動きません。

私は今、参議院法務委員会で1年間に17回、共同親権関係で質問し続けまして、表向きは少し動きましたが、共同親権への民法改正に向けてはまだまだ遠い先であることを正直に申し上げます。本当にこの点は法務省も最高裁判所も前向きに動こうとしていません。その事は正直にお伝えしたいと思います。

次に、女性の就業率と人口問題について。実は、日本は1975年から少子化に入っています。1人の女性が子供を産む数は1975年に2.0人、その後一貫して下がり、現在は1.3人ぐらいです。一時期、「女性が仕事に出るから子供が生まれない」と言われていたのですが、事実は逆で、女性が仕事に出て有業率が高い国の方が出生率は高いのです。この事を日本中の経営者も行政班も分かっておらず、手が打てていなかったのが、過去30年~40年の少子化問題です。

スウェーデン・アイスランド・デンマーク・ノルウェーは出生率も高く、女性の有業率も高く、財政も安定していますが、日本・韓国・ギリシャは、女性の有業率が低く、財政も不安定で、男性中心社会で、出生率も低いです。1人しか納税者にしていなければ国家として当然貧乏になるでしょう。後者の国家は貧乏になることを選んでいるのです。前者の国家は国家運営として男女とも納税者にして社会参画させ、男女の役割を限定していません。

ノルウェーは1975年に政治参画のクォーター制を取り入れています。その辺りの考え方を変えられなかったのが今の日本の問題です。また、日本では子育て中は仕事をしないということで、女性の年齢別有業率のグラフがM字カーブ(30歳~40歳頃に有業率が減る)となります。

私は、このままでは日本の国は崩れてしまうと思い、①子供が産めない、②環境破壊、③財政負担(不要な公共事業削減)の3つをねらいとして、2006年に滋賀県知事選挙に出せてもらいました。相手は自民党・民主党・公明党、連合、270団体推薦の現職でしたが、「税金の無駄遣いは勿体ない」「子どもが生まれ育たないのは勿体ない」「琵琶湖の環境を壊しては勿体ない」の3点を訴えました。特に私は琵琶湖研究を30年やっていたので、無党派でありながら県民の皆さんが答えて下さり、2ヶ月半の選挙を勝たせていただきました。

私自身の人生では、子供を2人生み育て、孫を6人授かりましたが、そのような中で、自分の家族の問題を切り口にしながら、どういう風に日本全体の家族の幸せを作ったら良いのか、というのが私の政治家としての大きな問題意識です。

ですから、滋賀県の知事になった時に、「住み心地日本一の滋賀」ということで、「子育て三方良し」という、生まれた子どもが幸せ、生んだ親も幸せ、結果として社会が持続的に安定して豊かになれる、ということを求めました。そのためには男女とも働く場がきちんと確保されなければいけないので、女性が子育てと仕事を両立できるような、「マザーズジョブステーション」(就労支援センター)を作りました。結果的にかなり就業支援の成果が出ております。

同時に男性の家事育児参画として、2012年に日本で最初のファザリングフォーラムを滋賀県で開催しました。この背景には、ジェンダーではなく個々人の能力と意欲、経験で社会参加できる、家族参加できるというベースの価値観があります。

それで、知事としての実績を国政へということで、この時に離婚後の子どもの経済・精神・社会性の支援、共同親権等の25項目を挙げましたが、これを見た駒崎弘樹さんたちが、突然ネットで、「嘉田由紀子落選運動」を始めました。びっくりしました。実は私は、知事時代に駒崎さんの病児保育のフローレンスの活動に注目して、講師としてわざわざ滋賀県までお越しいただいたことがあったので、駒崎さんは子育て支援なのだから、子どもを放置する単独親権ではなくて共同親権だと思いましたけど、何万人かを対象にしてツイッターで「嘉田由紀子落選運動」を始めました。

子供の貧困と日本の家族制度・単独親権の見えない影響ですが、まず貧困率の問題、これを今日皆さんに是非知っていただきたいのですが、昭和25年から離婚件数はずっと増えています。最近少し減っていますけど、去年生まれた子どもが86万人で、親が離婚した子どもが21万人、4人に1人です。では昭和20年代はというと、生まれた子どもが280万人で、親が離婚した子どもが8万人、86人に1人です。つまり、今、これだけの多くの子どもが親の離婚に直面させられることが当たり前になっているのは、明らかに社会問題です。

政府は、ようやくひとり親世帯の貧困問題に取り組んでいますが、単に養育費を取れば良いという話ではありません。単独親権で、「あんたは親じゃない」と親権をうばい、一方で養育費だけ義務化するというような国家はどこにあるでしょうか。24カ国の親権・監護法制を比較した結果が今年の4月10日に出ていますが、24カ国中、単独親権はインド、トルコ二か国だけです。日本を加えると25ケ国で、そのうち3国だけで、残りは基本的に共同養育・共同親権です。しかも、養育計画が無ければ離婚させないのが基本的な諸外国の法制度です。

日本では協議離婚が9割で、養育費も面会交流も、共同養育計画も全く義務化されていません。だから離婚後の子どもたちが、経済的、精神的、社会的に無法地帯に追い出されているのです。残念ながら、日本がこの大変いびつな状態にあることが、子どもはもちろん、当事者も社会全体も自覚していません。ですから、皆さんのように片親が子供と会えないということの問題が見えていかないのです。

子どもは親の所有物ではありません。日本の協議離婚制度は離婚届で行いますが、夫が親権を行う子、妻が親権を行う子の名前を書け、これしかないのです。2012年に民法766条が変更されて養育費と面会交流の項目が入りましたが、チェックをしてもしなくても中身については何も問わない、というのが離婚届けを受け取る市町村の現場です。国政では、議員立法策定に向けて平成26年から親子断絶防止法が動こうとしましたが、内容的に抜け穴だらけでしたので、これは出来なくてよかったとは思っています。

法務委員会で、私は子供の最善の利益ということで17回質問しました。しかし、今年の1月27日、森法務大臣に、「養育費取り立て確保を要望する」というような面々(赤石千衣子さん、駒崎弘樹さんたち)が「養育費の取り立て確保に関する要望」を法務大臣に提出し、2月に1万人の署名を出しました。この要望書の4番目に、“共同親権など親権の在り方とはリンクさせないこと”とあります。養育費だけは取り立てて親権制度とは関わらない、そういう風にして、森法務大臣が私的勉強会を7回行い、5月末に養育費の義務化についてまとめ、6月2日に、安倍総理大臣に養育費の義務化だけを自民党女性部が出されました。

それに対して、共同養育支援議員連盟(会長:馳浩さん)の、「子供の養育に関する合意書作成の手引とQ&A」では、要望書に“未成年の子どもがいる離婚の場合、養育費と面会交流の双方を内容とする、共同養育に関する取り決めを原則義務化、協議離婚成立の要件とする”、とはっきり書かせていただきました。

森法務大臣は、現在、家族法制に関する研究会で研究していると繰り返し言っておりますが、この家族法制の研究会もかなり思想・イデオロギーの問題になりつつあるようです。また、雑誌「Hanada」で、5~7月と連載記事がございます。特に5月号の牧野のぞみさん、7月号の三谷英弘衆議院委員の記事を読んで頂けると、今何が問題かがはっきりと見えると思います。

離婚で崩れる子どもたち、共同親権を認めている国が24カ国中22カ国。このことについて、私は皆さんに3つ提案したいと思っています。

  • 「離婚後の子どもたちの具体的で生々しい声を社会的に発掘し、発信できないか?」
    父親としての立場はとても大事ですけど、子供目線で。
  • 「海外各国がいつ頃、どのような社会的活動で共同養育・共同親権になったのか」
    例えばアメリカだったら7,80年代頃、「クレイマー・クレイマー」の映画があり、父親運動が始まっていたということですから、そのように調べていただけると良いかなと思っています。
  • 「それぞれの居住地の市区町村長、市区町村議会議員に、離婚後の子どもや父母の問題について具体的に呼びかけ、共同養育になった時の行政施策」
    例えば、児童扶養手当の1/3は自治体が負担するとか。それから、片親ロスで精神的にかなりもしんどい現場があります。私は何人も市区町村長に話をしていますが、理解をした市区町村長は、共同養育・共同親権になったら、法律が根拠ですから、もちろんDVや子供の虐待には歯止めをかけていただく。そして、夫と妻に葛藤があっても、父子、母子の関係はうまく共同養育で進める。世界中がやっているのに、なんで日本のお父さんお母さんができないのか。そんなはずはありません。

まずは法律を変える。離婚した父母は仲が悪いから無理だと言いながら、ドイツは1982年に法律を変えて、今、きちんと共同養育で成り立っていますので、諸外国の例も含めて、なんとしても運動を大きくしていただければと思います。

  • 久米泰介さん

私は、共同親権のためにだけ活動しているのではなく、男性に関する差別を無くしていこうという活動を行っているのですが、親権の問題について、離婚した場合は基本的に父親、つまり男性側が不利になってしまうということが世界共通なので、その問題についても言及させていただいています。今回出した本、「法制度における男性差別」の中でも、1章は親権や養育費、面会に関する事なのですが、基本的にフェミニストの団体は、面会交流に抵抗を示して養育費の方を推していく、という方針を取ることが多いため、父親の権利運動としては、やはり子どもに会うことを考え、なんとか面会交流し、共同養育を進めていくということで対立が起こります。この運動はアメリカやカナダでも一朝一夕にはいかず、当事者の方の話を聞いても非常に大変苦しい戦いがありました。

私が心理学で学んできた色々な資料を見ると、養育費だけを回収するというルールにしても、面会交流がきちんと行われていないと養育費の回収率は下がります。また、養育費の回収率を測定する方法についても色々問題があり、どうしても親権者である主に母親から養育費がどれだけ回収されているかを聞くことで、結構バイアスのかかった情報源となり、実際は養育費が払われていても払われていないことにされ、養育費踏み倒しの父親として、悪人にされてしまうというのが大きな問題としてあります。

私は、そういった、男性を一方的に悪者とする法制度の不利益があることを無くしていくのも男女平等の1つの片側として大切なのではないかと思い、このような活動をさせていただいております。

(会場)私は子供の権利条約のNGOで、1994年代後半からずっとやってきているんですが、そこの中にいる方は元々プロなんですよ。子どもでお金を稼いでいたんです。例えば児童相談所の人間とか、学校の先生とか保育園の先生とか、家裁の調査官ももいました。そういう方々はサービスをする側の人間なんです。だから私たちがこうやって一生懸命やっているけれど、そういう人たちが国連に報告書を書いていたから、なかなか進まなかったというのがあると思います。ようは、専門家というのはそれでお金を稼いでいるで、離婚のもんだというのは結構タブーな所があって、なかなか研究者が研究しようとしないんです。要は差別にされてしまうとまずいわけです。なおかつ、子どもの権利条約というのは、女医性が多いのも確かだし、それでお金を稼いでいる方が多い。そういう方々が色々言うから、実態がなかなか伝わらないのだと実感しました。

  • 宗像充さん

私は相談事業とかもやっていますが、問題がシステムを作り、システムが問題を作ると言われます。問題を解決しようと思えば仕組みが必要で、仕組みを作ったら問題を求めていく、それはどんなものでも必ずそういうふうになるということがあり、そこを意識してやれるどうかということだと思うのですが、ボランティアだけに頼っていれば体制としては安定しませんし、そのシステムを作り出すために問題を作り出さないと動いていかないということ当然出てきます。それを批判だけしていてもいかがなものか、という議論はありますが、その中で私たちがどういうふうに関われるのか、ということは重要な論点かな、と思っています。私の方から、お手元にレジュメがあると思うので、この間の、私が考えたことについて報告させていただきたいと思っています。

テーマとしては、「どうなる? 婚姻制度と非婚の親」ということで、考えさせていただきました。というのは、皆さん離婚して子どもに会えないという状態になった方が多いと思いますけど、私がこの社会運動に取り組むようになってから、最初から私だけが非婚の親だったというのがずっとあって、それが故に生じた問題というのが、共通する部分と共有しない部分というのがあって、そこの所を問題提起したいと思っています。

皆さんと同じように、私も子供と会えなくなったことがあります。現在は子どもに会いに月に1回千葉まで行くのですが、先日も私が子どもに会おうとすると、元妻の今の夫(養父)が、目の前に立ちはだかり、「会わせない」、「引き離す」ということを言い、私が子どもに会うと、近くの銀行のロビーで私が子供と会うのを監視するということを行います。私からすると、私と子供の関係なのではた迷惑だなと思うのですが、彼の方からすると、向こうで家庭を作っているものですから、その中に私が、時々という形でも入り込んで邪魔をするということについて、良かれと思ってやっているというのが想像できるわけです。

私は元々親権が無い形で事実婚という形でしたから、親権が無いということで子供と引き離されました。その時は人身保護請求という手続きを取らされたのですが、その後、元妻の方が再婚して、私の友人である彼が養父になりました。一方で、母親の方も民法上の規定で養母となるということになっておりまして、今、母親と再婚相手は養父母家庭ということになっています。なぜ、こういうような状況が生まれるかというと、子どもを「嫡出子」にするということが良いという民法上の配慮というものがありまして、それ故に、子どもと再婚相手が養子縁組をしたわけですけど、子どもは私との間では「非嫡出子」だったものですから、その「非嫡出子」を「嫡出子」にするためには、母親とも養子縁組をして、「嫡出子」にする必要があった、というのが現在の民法上の規定になっています。

これ(レジュメ)を見てもよく分かるように、子どもの福祉というのは、現在の民法の考え方では、「嫡出子」を守る、「嫡出子」にするというのが家にとって一番良いということになっています。こういった規定というのは、裁判所も民法学者も、一般的に子どもの福祉というわけですけども、私たちの裁判の中では、これは「裸の子の福祉」ではないのか。

子供のことを一番考えるのは実父母のはずです。なぜかというと、実父母から子どもが生まれているのは当たり前だからですが、その前提を問うことなく、子どもの福祉というものが、まるであたかも一般的にあるかのように考えて、第三者が当てはめにいく。この「子ども」というのは親との関係の子どもではなく、一般的に、少年/少女という、小さい子どもという意味での「子ども」という意味で、「裸の子の福祉」と言います。このような「子どもの福祉」の解釈というものが現在ある。

私は非婚の父親なので離婚後共同親権というものは無いのですが、この間、離婚後の共同親権、あるいは婚姻外共同親権ということをどうやって打ち出すか考えてきました。離婚後の共同親権という言葉自体は多くの人が当てはまる言葉なのですが、その言葉を使うと、離婚した後の共同親権だけを議論すれば良いという話になってきますが、実際は、単独親権というのは離婚と未婚(非婚)なのです。

そういうことを考えると、元々共同親権が、どの子どもにとっても良いと考えるのであれば、どんな家庭でもできるのであれば、共同親権にしたほうが良いわけです。単独親権に合理性があるのであれば、どんな家庭でも、婚姻していても単独親権が良いはずです。そういった議論を分割する言葉として、離婚後の共同親権という言葉が1つある、というふうに私は考えています。

私たちは今のターゲットとして、単独親権を撤廃する、単独親権を廃止する、という言い方をしますけれど、それは婚姻中あるいは婚姻外ということに関わらず、単独親権に合理性が無いのであれば、民法上はどんな家庭で親子関係においても無くしたほうが良いのではないか、ということを考えてそういうことを言いました。

共同親権を導入するという言い方もあるのですが、私がこの言葉を少し危ういと思うのは、共同親権を導入すると言った時に、例えば、アメリカは選択的共同親権で、単独親権の親も一杯いますが、その状態で共同親権を導入すると、共同親権ができる人たちだけが共同親権、ということになる。できない人たちは、あなた達が良くないからと、なお一層差別されるという構造にもなりかねません。

また、子どもに会いたいという親だけでなく、養育を放棄して男が逃げてしまう、そういう夫婦関係、親同士の関係というものもあって、揉めるのだったら単独親権で良い、と選択してしまうと、養育費不払いとか、子どもを認知しないとか、あるいは堕胎の問題なども日本では大きい問題ですが、そういった親の関係を単独親権であるがゆえに解決できないということにもなりかねません。私たちはそこ部分を意識する必要があると考えています。

私は、離婚していない、まだ親権者の人にもアドバイスをすることがあります。そういう方々は親権者なのに子どもに会えないのはおかしいじゃないか、という言い方をするのですが、私たちは、親なのに子どもに会えないのがおかしい、と言えばいいだけの話だと思います。親権者なのに子どもに会えないのはおかしい、という言い方をするというのは、逆に、親権が無ければ子どもに会えなくても仕方がない、という言い方を肯定することにもなる。私は自分の子との関係では一度も親権を持ったことがない人間なので、そういうことを言われると、正直少し少辛いなぁと思ってきたということがあります。

なぜ、このような話をずっとしているかと言うと、今回の共同親権・共同親権国家賠償請求訴訟の国側の答弁書を見ると、国側が単独親権に合理性があるとする根拠として、「婚姻制度の意義」という言葉を何回も言っていました。婚姻関係があることで協力関係ができるのだから、共同親権を婚姻中のみに与えているのは意味がある、婚姻していなかったら協力なんかできないでしょ、だから単独親権で良いのですよ、という言い方を国はしていました。

では実際はどうか、というふうに言われると、婚姻していても子供のことについて協力していない夫婦は一杯います。小さい事だと、子どもにスマホをもたせるか、子どもをどの塾に行かせるかどうか、という事を、婚姻中に決められないということはいくらでもありますが、共稼ぎしてお金を家計に納めようということには合意できる、という家庭も一杯あると思います。

婚姻しているかどうかということと、子どもの事で合意できるかどうかというのは、全然一致していない。なぜ、彼らが婚姻制度の意義、ということを言うかと考えると、私はやはりここに非婚の親への差別というものがある、と思っています。

例えば、非嫡出子の親、女性であれば内妻、「2号さん」、「お妾さん」という言い方をしていましたけど、正妻とは違った地位というものを婚姻制度にするために、維持しなければいけない。正式な結婚の下で子どもを生むことが国民の証である、という、これが国に貢献できる、私の父親とかは子どもを3人作ったから国に貢献出来たとか言っていましたが、そういうふうな発想が今の婚姻制度、あるいは婚姻制度の背景にある発想だというふうに私は思っています。

それで、実際、現在の婚姻制度がどういうものかというと、戸籍とセットになっていて、お父さんお母さんがいて子どもがいるというのが戸籍の制度、戸籍の在り方ですけど、その関係以外のものを非正式のものとして差別する必要がある。私は、それを「内縁化」と呼びます。

例えば、共同親権、離婚後だけを単独親権にする、婚姻外のみを単独親権とする、というのも、「内縁化」の1つの手法だと思うのですが、まず男女で結婚しなさい、同じ姓を名乗りなさい、婚姻中のみを共同親権にしなさい、それ以外はその形式を認めません、というのが今の結婚制度。結婚したから国が認定してあげます、という代わりに、そういった形式を受け入れなければならない、というのが今の婚姻制度かな、というふうに思っています。

これは強固な岩盤規制で、この岩盤をドリルで穴をあけるというのは、とても抵抗があると思います。今、この岩盤規制にチャレンジしているのは、私たちの共同親権訴訟と、夫婦別姓訴訟、それから同性婚についての訴訟、というものが3つあると思います。これは、こういった婚姻制度にまつわる規制というものを緩和し、結婚の中身を軽くしていくという、方向性は一緒の3つの裁判だと考えています。

今までの前提を元に、共同親権になったらどういうことが起きるか、ということを、私の感想ですが、考えてみました。現在、事実婚というものを選ぶ人がいますが、これは逆に単独親権を強制される。先日、フェミニストの方が結婚しましたけれど、その理由というのが、事実婚だと共同親権が持てないから、という言い方をしていました。今や婚姻以外でのパートナーシップというが単独親権だということについての知識は、皆さんに出回ってしまったわけです。だから、共同親権は相手に安心感をあたえるというか責任を取ってもらうという両方があると思うのですが、そのために、あえて結婚というスタイルを取る、というのが、今の単独親権制度の下で起こっている現象です。

これが共同親権になったら、そういった選択はする必要は無くなるわけです。結婚というものについて、相手とのパートナーシップの考えで、それを手段として取るか取らないかというのは、より相対化されていく、そうすると結婚は手段になっていく、同棲を矯正されることも無い、というようなことがこれから起きていくということがあると思います。

もう一点、2020年7月22日のヤフーニュースで、橘玲さんが面白いことを言っていました。アメリカは事実上の一夫多妻制が起きている、これは女の人にとって損かと言われると、そうでもないでしょう、という言い方をしていていました。詳細は省きますが、ハイスペックな男と結婚するチャンスがみんなに広がる、男の方からすると、一夫一妻制の元ではどんな人にも女の人と結婚するチャンスがあるわけですが、一夫多妻制になると、モテる男しか結婚できなくなる。だから、実際は一夫一妻(多妻の誤り?)制というのは、男にとって有利とは必ずしも言えないぞ、というような言い方をしていました。

こういった現象が起こってくるというのは、ある程度共同親権制度が保証されている中であることなのかな、というふうに考えましたが、もし、共同親権というものが実現した場合に、結婚制度というものを変えていかないと、結婚する必要が無くなっていくわけです。そうすると何が起きてくるかというと、理論的には多夫多妻がそれに対応した姿になるわけですが、人間の歴史上、一夫多妻とか一妻多夫というのはあっても、多夫多妻という制度は無かった。やはり多夫多妻になると男女間の関係が混乱して秩序が保てないというような認識というものが過去あったとするならば、一夫一妻制のもとの共同親権制度というものを、みんなで探っていかなければならなくなるわけですが、実際、それがどのような形になるかというのは、私も少し分からないところがあります。

ただ、結婚は軽くなるので、「愛している人がいるなら結婚しちゃえば。」という考えを若手のコラムニストの古市憲寿さんがいっていました。それで子どもが出来たら親として責任を問われる。結婚制度とは別にずっと負わなければいけない社会的責任があるよ、というのが共同親権のあり方になるのだろうな、というふうに思います。

男女間だけでないかもしれないパートナーシップと、親子関係というものが分離されていく、と言う中での婚姻制度というのがあると思うのですが、アメリカの場合は、「愛しているなら結婚しちゃえば。」というのを地でいって、離婚再婚を繰り返すという方が多いです。フランスとかスウェーデンの形とかになると、結婚自体の重さは変わらず、結婚すればややこしいし離婚するのも大変、だからそういった関係を取らないパートナーシップとして、「パックス」、「サンボ」とかいうような、同性関係も適用できる、あるいは同性婚の関係も適用できる、というような関係が発達してきたということがあります。

私は、日本がどちらに行くか分かりません。しかし、そういったパートナーシップのあり方、あるいは親子関係のあり方というものを、これから日本が共同親権に移行することによって、何らかの形で取り入れていかなければいけない、あるいは対応していかなければいけないということが、これから生じることかなと思っています。

  • パネリストの討論

(嘉田)久米さん、「法制度における男性差別」(ワレン・ファレル著、久米泰介 翻訳)の、男性は「ガラスの地下室」、という言葉が目から鱗でしたが、現在のアメリカ社会で、男性が危険な状況におり、命を削って全体役割の中に閉じ込められていることが、どれだけ社会問題化されているか。また、その流れの中で、共同養育/共同親権が、ミサンドリーの問題なども含めてどれくらい意識されているか教えて下さい。

(久米)「ガラスの地下室」という概念が有名になったのは、「男性権力の神話」(1993年、ワレン・ファレル著)からですが、男性が性役割から解放されていこうという運動は、最初は抵抗も大きく批判と言う人もいたので、メディアで本当に表に出てくるのは2010年代後半からです。その中で親権運動は歴史があり、「クレイマー・クレイマー」の時代から議論されていました。2013年にアメリカ留学した時、僕の先生は裁判所で父親団体の代表として、離婚後も父親の育児が子どもにプラスであることを主張していました。他の州も法律は変わっており、共同親権という話では課題が多いですが、どんどん進歩している点で日本とは雲泥の差だと思っています。

(嘉田)それでは続いて、アメリカ的な父親の関わりが子どもにとって良い影響があるということを、日本でどういうふうに主張していけば良いと思いますか?

(久米)僕は心理学専攻なので、父親が関わるとこれだけプラスになる、という既存研究が中心ですが、離婚後もこれだけ子どもの精神的安定につながる、という研究が数え切れないぐらいあります。去年まで3年間いた日本の大学院では全然研究が無く、離婚後の研究どころか父親が婚姻中に育児をする研究すら全然無くて驚きました。

(嘉田)日本でも小田切紀子さんや青木聡さんたちが、離婚後のペアレントロスは社会心理学・児童心理学的に問題がある、父親との面会交流が多い方が子どもの精神的安定につながるというデータを出していると思いますが、全然分量が違うのでしょうか?

(久米)全然違います。日本だと青木先生と小田切先生を挙げてしまうと、5本の指に入ってしまいます(嘉田さんより数名の名前(野沢慎司さんなど)が挙がる)。

(嘉田)私、実は社会学会に入っていて、仲間たちに共同養育・共同親権のことを聞いているのですが、圧倒的にフェミニスト、女性差別研究が多く、男性差別や子どもの離婚後の影響の研究などはほとんどできていません。アメリカではどうでしょうか。

(久米)家族心理学はエビデンス重視で、どの程度子どもに影響があるのかを調査する実験科学のような分野なので、本当はこういう影響がある、ということを検証すれば記録は出せます。しかし、社会学界隈は多数決になりがちで、政治的に強い人たちが研究結果の査読担当になると論文が通らないみたいな感じです。アメリカでは、共同養育にプラスの働きをもたらしているのは心理学研究者が一番多いです。社会学はフェミニストの方も多いためイデオロギーの戦いになってしまいます。

(嘉田)よく分かります。家族心理学の方をを強化するほうが、家族や子どもたちの幸せのためにも良いという感覚でしょうか。

(久米)そうですね、やはり研究を積み重ねて事実を知る。政治とかの流れで色々変わるとは思いますが、事実は消えていかないので大事だと思っています。

(嘉田)合意いたします。今日の私の話はイデオロギーに聞こえたかもしれませんが、本当に家族が、特に子どもが未来に対して一番幸せに育つための具体的事実を積み重ねることが大事だと思っています。その1つが共同親権という結論に到達しています。

(久米)嘉田さんのお話はすごい情報量で僕も大変勉強になりました。政治的な強さとしては、反対派と意見が異なるのはやはり国会とかでも大変なのでしょうか。

(嘉田)落選運動をされた方が沢山います。次の衆院選でもされると思います。宗像さんが「社会はシステムができると、そのシステムを動かそうとする」と言われたように、今は母子家庭支援システムがより強大になろうとしており、母子家庭が減ると困る方々がいるとしか思えない動きが見えます。私は滋賀県知事時代も母子家庭支援を一生懸命やりましたが、本来は放置されている片親家族を減らすのが社会構想のあり方だと思います。

しかし、国会報告で子どもの貧困や少子化支援の問題は共同養育・共同親権制度に関連しませんか?と質問しても、官僚システムの中では「エビデンスがありません。私たちはそこまで踏み込みません。」となってしまいます。明らかに片親家族に貧困が多いのに、なぜそうなのかという所まで踏み込まない、だから家族省が必要だと言っているのです。本当に根が深い問題です。

今、家族法や民法を担当する所は法務省民事局のみです。しかし、厚労省や内閣府の、子どもの貧困/少子化を扱う方々は家族法には関われない、ここに大きなギャップがあります。この構造変換は今の縦割り官僚組織ではできません。法務省は既成事実があり、官僚組織は前例踏襲なので、政治でしか変わりません。この問題に関しては、政治部分でロビー活動/街宣運動される人たちが大変強いため、どんどん仲間が脱落していきます。

(宗像)浦和大学に益子行弘さんという心理学の実験系のエビデンスを多く持つ先生がいますが、日本の学会では論文を発表する宛がないので、アメリカの学会で発表すると言われて、1回は上手くいったが次は分からないとおっしゃっていて、大変だな、と感じた記憶があります。久米さんに1つ質問です。「法制度における男性差別」(ポール・ナサンソン/キャサリン・K. ヤング著、久米泰介 翻訳)の中で、アメリカは養育費の強制執行強化の仕組みが沢山あり、免許証停止や投獄される男性が一杯いるが、そのシステムを維持するために莫大な税金を使っても、養育費の履行は格段には上がらず、共同親権のシステムを取り入れた州の方が上手くいっている、という記載がありましたが、そのような議論はアメリカでも注目されている分野ですか?

(久米)法の動きは詳しく分かりませんが、お父さんが回収できるほど稼いでいない場合や、失業して離婚した場合でも強制回収しようとするため、それが子どもにとってプラスかについてはあまり検証されていません。さらに母親側の保証権や母親サポートとしてシングルマザー団体がフェミニストにプッシュするという悪循環がありますが、事実として共同親権の方が嵌まるのでその点でも反論できると思っています。

(宗像)アメリカでの調査結果では、共同親権になると離婚率が下がるとあり、離婚後も両親が子育てに関わるなら離婚のメリットが無いのかなと考えて、そういうデータが出ていると思いました。共同親権になった場合、女性側がお金を得て自立することが通用しなくなり、離婚を選べなくなることがあると思うのですがいかがでしょうか。

(久米)確かに、共同親権の州は単独親権の州より離婚率が低いというデータはありますが、単独親権で女性が100%勝ててしまうと離婚の誘発原因となります。お金も親権も取れれば先に離婚したいと思います。これが男女平等に親権を取れるようになると、単純に100%勝てるわけではなくなるので、被害を抑えるために離婚が減りますが、共同親権になれば結果的に離婚率は上がっていきます。離婚後でも親子が両方とも交流することが子どもにプラスなので、そこが一番大事だと思っています。

(宗像)もう1つお二方に質問します。日本は先進諸国の中で共同親権への移行が一番遅れていますが、先ほどの反対派のロビー活動の他に、どのような要因があるでしょうか。

(嘉田)2つあります。1つは、人間関係の寛容性の差です。欧米だとステップファザー/マザーが沢山おり、前の夫の子、今の夫の子、前の夫の連れ子がいるとか、その辺りが大きく違います。日本は家制度や戸籍制度、人間の出自などが隠れて邪魔をしており、「個」の尊重が無いことが家族制度の不自由さに繋がっています。フランス辺りは何人もの人と関係を持ち子どもを持つ、ある意味宗像さんが言っていた多夫多妻です。

実は、明治民法が入った頃の日本もそうでした。日本の協議離婚が簡単な理由は、子どもが生まれなければ早く女性を解放して再婚しやすくするためです。江戸時代から明治初期の家族制度をデータ化した速水融さんは、庶民家族はかなり離合出産が多かったと言っています。ただし、武士家族は「家」が強かった。その辺の人間関係の寛容性が、戸籍制度や家制度、家族法の窮屈さに囚われています。もう1つ、今、若い男性がとても生きにくく、暮らしにくい。

女性の方が生きる力があり、自力で稼いでいます。男性は正規雇用で400万円収入が無いと結婚してもらえない、女性はもっとその辺の選択肢があります。実際に試験とかをすると女性の成績の方が良いのです。この点と婚姻制度が不自由さにつながっています。これは隠れた大きな社会問題です。

知事時代に、「ハチマルゴーマル」という、お母さんが80才、長男が50才で引きこもりという家庭が1つの集落に2つぐらいあり、今ようやく社会問題化しています。だから、今、変えるべきは法律を自由にして、結婚/子育てしやすく、離婚/再婚しやすいという、より「個」の意識を尊重できる家族制度にすることです。その時、子どもが置いてけぼりを食わないよう、非婚でも共同養育・共同親権が望ましいです。ただ、今の法制度だとなかなか判断が難しいですね。

(宗像)自助グループをやっていると、相手から婚費を請求され、生活も不安定でもう払えない、という方が結構いて、そういう時は、仕事辞めて生活保護もらって、相手から婚費をもらいましょう、と言うのですが、男がそれをやることに対するハードルの高さが結構あるのかな、と思っています。久米さんはどうですか。

(久米)なぜ海外に比べて日本の共同養育が進まないのか分かりません。北米の多くが共同親権になった時、僕が大体22才ぐらいで、30才頃には日本も共同親権になると思っていたのですが、今34才です。他の先進国の流れや圧力もあるので、2015年頃には共同親権となり、2020年までにはシステムが動き出すイメージだったので、ここまで抵抗する政治的な力が強いのは想定外でした。アメリカと比較して日本のフェミニストが相対的に強い感じがします。

日本のメディアは父親の権利運動を完全に無視しますが、心理学でそのようなことを行う人が増えれば、科学的な事実で勝てると思うので、僕はそれをやっていければと思っています。

(宗像)僕もこの問題をよく考えます。男は外で働き女は専業主婦、というモデルは日本の高度経済成長時代の中間層の家族モデルなので、戸籍制度がうまく機能した時代もあったかもしれませんが、背景には他国と比べてその層が相対的に厚かったという点があると思っています。今、僕たちがこの問題について取り組む時は、そのような社会システムも含めて一緒に考えないといけないと思っています。

  • 会場との討論

(会場)月間「Hanada」の9月号で「片親疎外」が取り上げられて記事になっています。私は同志社大学の心理学専攻で、その頃は臨床分野が無く、当事者になってから名古屋大学で勉強していますが、そこの先生方も知りませんでした。しかし、昨年7月、WHOの規定に「片親疎外」が取り上げられ、間もなくDSM-5に精神疾患として載ると思うので、そういう所で問題だと言っていれば、エビデンスが少なくても攻めようがあるような気がします。男性だと子を連れ去られて、女性だと追い出されて、非同居親の事を同居親が一方的に悪く言うようなことが繰り返されると子どもたちは不幸です。何かアプローチがあれば教えていただきたいです。

(会場)少し補足します。厚労省から、2018年、30年ぶりにWHOが国際疾病分類の第11回改訂版(ICD-11)を出したという発表がありました。その中の、健康に影響を及ぼす問題のQE52(小児期の対人関係に関連する問題)の、家族/子どものケアに関する問題のブックマークには、同義語として「片親疎外」(Parental Alienation)という言葉で検索できるようになっていました。こういうことは色々な病気の学会のワーキンググループで話し合われます。

この問題は、現在、ナッシュビルにあるワンダービルド大学のウィリアム・バーネット(William Bernet)先生が第一人者ですが、この前まではR.A.ウォーシャック(Richard A. Warshak、「離婚毒」著者、青木聡 翻訳)先生が有名でした。本来、「片親疎外」は医学的な話でなければならないのですが、先ほど嘉田さんがおっしゃったように、それを認めるとフェミニストたちには不都合なので、世界中のフェミニストがWHOのワーキンググループに登録して入った結果、今後の改訂版では「片親疎外」が検索できなくなります。

ウィリアム・バーネット先生や仲間のシンパの方々が反論したのですが、結局、「片親疎外」は健康問題ではない方に傾こうとしています。2018年版では「片親疎外」で検索をかけるとFamily Problemに行きますが、今後の改訂版では行かなくなるとのことです。

(久米)そこまでは知りませんでした。2017年にアメリカの共同養育の学会に参加し、ウォーシャック先生などの話を聞いたのですが、マイケルE.ラム(Michael E. Lamb)先生という、父親育児の最先端にいる先生もいらっしゃいました。ラム先生は中立派ですが、フェミニスト側が「父親と子どもを面会させると母親との関係に有害な影響がある」みたいな論文を強引なやり方で出したことに怒り、父親側はウォーシャック先生とラム先生で反論する戦いになりましたが、心理学の戦いというより政治の戦いになってしまいました。

心理学ならエビデンスで戦えますが…共同親権の一番良い所は、世界中に学者がいてエビデンスを貯めているので、翻訳などで情報を仕入れて、それを上手く使い、日本の事例と絡めて論文を出せば注目されます。日本だと多分査読ではじかれると思うので、戦略的には海外に出した方が良いと思います。

(会場)本日嘉田さんがお話した中で、インドとトルコも単独親権という話がありましたが、日本ほど悪く言われていないイメージがあります。日本と同じ単独親権なのでしょうか。また、親権には色々な権利がありますが、日本が目指す共同親権はどこまでのシェアを考えているのか、具体的なゴールが良く分かりません。どこかに説明とかあるのでしょうか。「共同親権」という言葉が抽象的で分からなくなってきます。

(嘉田)私はインド・トルコの事例は未研究です。法務省の海外調査では、国によって親権をCustody(親権)、Responsibility(責任)、Obligation(義務)と色々な言い方をしますが、両親が関われる国は共同養育・共同親権と判断していると思います。日本の場合は、820条(親権、監護及び教育)、821条(子どもの居所の指定)、823条(職業の許可)、それから綿々と書かれています。親権の多様な側面は民法で規定されているので、全て共同でできるようにするか、個別に判断するか、その辺は家族法研究会で議論しています。日本の親権の場合はかなり幅が広いです。

(会場)木村草太さんという憲法学者がTwitterで、共同親権の反対理由として、塾や進学校などを選ぶ時に困る、と話されますが、この辺りの権利を目指した運動ではないと考えています。僕らが目指す共同親権と違う気がするのですが勘違いでしょうか。

(嘉田)木村草太さんが教育と言ったら820条、居所の指定は821条です。教育や医療について、共同親権だといざという時に決められず、子どもに不利益があると言われますが、家族法研究会では、例えば同じ医療でも、その場にいる片親が決める(緊急性が高い場合)/両方が相談をする、などの3段階ぐらいに分けるなど細かく議論しています。ネットに具体的に出ていますが、そういう議論をすることが大事です。

(宗像)共同親権と言った時、基本的に子どもを作った二人が責任を負うことは誰も否定しないと思うのですが、日本では否定されることがあります。その理由は単独親権ということが大きいですが、それとは別に、日本では、子どもの面倒は両親が見るべきだ、という権利の保有性が認められていないことがあると思います。

他国では、親子関係は自然な権利、合意的な権利という規定が民法に載っていますが、日本はそれが無いが故に、先ほどの僕の元妻の夫の話のように「子どものため」と言った時、第三者が「子どものため」というものを評価し、介入が許されてしまいます。もちろん介入しなければならない時もあると思いますが、本来は、子どもの両親ができていない時に初めて社会が介入すべきで、第一義的な責任は親にある、というのが子どもの権利条約の本質で、そこを僕たちは求めているのです。

もし法律が変わって共同親権となり、子どもに会わせない同居親に対して、ある程度法的な権力を持ち面会を強制できるようになったとしても、ここに来ている人たちの面会は難しいと思います。しかし、共同親権の考え方が同居親周りの環境で当たり前になれば、会わせないと言った時、「なぜ会わせないの?」と周りが聞くと思います。今は、会わせないと言った時、「元夫がよほど酷いことしたんでしょ。」という答えになりますが、そこが変わってきます。社会が変わることで人々の動きも変わる、ということを僕たちは狙っています。

(会場)私は追い出された母という立場で元夫に離婚を請求され、子どもを置いて家を出ざるを得ませんでした。日本が単独親権なので離婚に反対しましたが、最終的に訴訟で親権を元夫に渡すこととなり、子どもに会えなくなりました。私の元夫は旧家の長男で、圧倒的に経済的に安定していたため、離婚後の子どもたちの福祉を考え、面会交流等が月1回できるという合意の上で離婚しましたが、結果的に会えない状況が続いています。

それでいつも思うのですが、今までのお話にあったように、なぜ、これほど日本の家族制度の変更が困難か、ということの中に、婚姻制度を守りたいという圧力が強い状況と共に、フェミニストロビーの力が大きい状況があると理解しています。私は子どもを置いて出ざるを得なかった母親の立場として、日本のフェミニズムのあり方に疑問を感じています。今、共同親権の移行に反対する日本のフェミニストたちは、養育費の強制徴収等にも表れているように、保護を求める運動がフェミニズムのあり方だと思っています。

私は、男女雇用機会均等法施行後、社会の中で同期の男性たちと同等の立場で仕事ができることを信じて教育を受け、実際に社会に出たらそうではなかったということを目の当たりにしてきた世代ですが、結婚/離婚においても、母親の立場が強ければ子どもを諦めなくても良かった、と感じています。実際、離婚してから、多くの母親たちが養育費をもらえることを前提に連れ去りを行っていることを知り大変驚きましたが、私も子どもを連れ去れば別れずに済んだし、元の夫に婚費を請求できたのかと思ってしまうのです。

私は今の日本のフェミニストロビイストたちは、ある意味女性の立場の首を締めていると感じています。なぜなら、同じ女性の立場から言わせてもらうと、彼らが婚費/養育費を請求する形で保護を求めることで、女性の経済的自立を阻止する勢力であると感じるからです。私にもっと経済力があったなら、離婚届に署名して子どもを連れて家を出る選択肢もあったと思いますが、経済力が無く追い出された母親は沢山いるはずです。

その背後には、やはり旧来の「子どもは家のものである」という慣習で、婚姻という形で家を守る制度が日本の親たちや子どもたちを縛っていると感じています。今日はマスキュリストの久米さんもゲストで来ていただいていますが、ネットで子どもを連れ去られたお父さん方のコメントを拝見するにつれて、女性として大変辛い思いをすることがあります。そもそもフェミニズムやマスキュリニズムが今後の社会で有効な概念なのでしょうか。男性対女性という構造が母親対父親という構造に見えがちですが、婚姻制度対非婚姻制度の戦い、せめぎ合いにはとても深いものを感じています。

(久米)正直、僕も共同親権の問題がここまで男性対女性の戦いになるとは思っていませんでした。離婚しても子どもが父母両方と会えるシステムを作っていく、子ども中心のアプローチになると思っていましたが、なんとしてもDVの話にして、男性対女性の問題にしようとする人たちがいるので、どうしてもカウンターを取り対立しているようになります。フェミニストがいなければマスキュリストもいないのです。ただ、結局目指す所は男女平等なので、いつか無くなると信じてやっています。

(嘉田)今お話しされたことは、日本の共同養育・共同親権が進まない隠れた構造です。子どもは家の所有物、日本は親子中心なのです。今、私たちの世代でこういう言い方があります。「娘が養育費持って、孫だけ連れてきたら一番幸せだね。旦那無しで。」。連れ去りの背後に結構お爺ちゃんお婆ちゃんがいます。実家に帰ると女性側も安定していられるから連れ去る。逆に、小泉純一郎家がそうですが、先ほどのお母さんのように追い出される。

この前、武蔵野市でタイ人のお母さんが子どもを2人殺しました。あれも背景は家制度で、お母さんは子どもを置いてタイに帰れと言われ、子どもを置いていくぐらいなら殺してしまおう、ということで悲劇が起きています。これも直系家族制度の名残で、共同親権になりにくい構造だと思います。だから本当に根深いのです。

また、共同親権の事を書く新聞記者には個別攻撃を受け、そこのトップにも言われて書けない、という人が私の周りに一杯います。政治家のみでなく、マスコミもロビイストの対象になっています。これが、私が東京に行ってここ一年で発見したことです。どうしたら良いか、それこそ今日意見が欲しいです。

(宗像)僕たちの自助グループでも女性を支援することがあります。子どもに会えるなら、相手に子ども見させて好きな事して働ける、こんな良いことは無いと思うのですが、私が子どもを見るべきなのにできなかった、という感覚の中で大変苦しんいる女性が多く、それも性役割に囚われている考え方の1つだと思います。一方、男性が女性について批判的な論陣を張ると、男女平等に批判しているつもりなのに、それは女性を攻撃する差別だ、という論調が世論やメディアの中でも強いと感じています。

(会場)嘉田さんが、新聞記者が反対派からの攻撃を受ける話をしていましたが、何人ぐらいとか、何通ぐらいのメールが来ているとか、そういう話は聞いていますか?

(嘉田)共同親権反対派として良く出てくる、社会的発言力のある人たちがマスコミのトップとつながっています。メールは要件にもよりますが、松戸事件で地裁から東京高裁でひっくり返された約10ヶ月の間は本当にすごかったと聞いています。

(宗像)対抗勢力は判決を1つひっくり返すぐらいの力があると思って下さい。最後に、先ほどから繰り返されているように、この問題は男性対女性の対立図式を必ず作られ、相手はそれを作れば勝てます。そういった今の議論のあり方をこちら側でも捉えて共同親権に向かってクリアしていくために、男女共通で取り組むにはどうすれば良いか、お二方にコメントいただければと思います。

(久米)共同親権に関しては上手くいかないことが色々あると思いますが、お互いが子どもに接触できる環境を作っていくことです。「子どもの福祉」という言葉は政治的に使われがちですが、本当に子どもの発達を中心に考えて使ってほしいです。今までのエビデンスでは、子どもの発達には両親が関わると必ず良いと言えるものが多いです。子どもたちのためにそういう環境を作り、男女両方が差別されない世界になれば良いと思っています。

(嘉田)今日の講演で3点申し上げましたが、1つ目は、久米さんがおっしゃったように、子どもの発達にとって両親が関わることが良いのだ、という心理学的エビデンスです。2つ目は、海外は共同親権・共同養育できちんとできているということ。日本の民法の教科書を見て驚きましたが、未だに我妻栄さんの「夫と妻は、離婚に直面したら高葛藤だから共同養育はありえない。」という記載があります。教科書から書き換えないといけません。ということは、教科書を書くT大学法学部教授の頭の中を書き換えなければなりませんが、その人たちは「日本は海外とは違う」と言うのです。

親子の情とか子どもの育ち方が、日本は海外と比べてそんなに特殊ですか?私は、離婚しても父子母子の関係は必要だ、ということを人間性として追求して欲しいです。そのために、3つ目ですが、日本は市区町村が1,724あります。ここだと塩尻市、大鹿村です。離婚届は全部市区町村が受け付けていますが、毎年20万件の離婚届を受け止める現場で、養育計画を作れるような具体的な運動を、地方六団体、それぞれの議会、それから首長に働きかけていただきたいです。今までここの所が弱かったと思います。

片親家庭をケアするために、現場の市区町村の皆さんが苦労していますから、ここを根本的にWin-Winの関係にしましょうと言えば、市区町村長などはあまり反対をしないはずです。その辺を追い込んで下さい。よろしくお願いいたします。

(宗像)僕はフェミニストの一番の弱点は男女平等と言われることだと思います。男女平等を掲げて、その中身は何になるのか、ということを議論することはこれから必要です。大鹿村は稼ぎの良い男が多くないので、偽装離婚をして児童扶養手当をもらうのが最近はやっていいますが、婚姻制度とか児童扶養手当とかいう所も含めて、私たちは見直していかなければいけないと思いました。本日はお二方とも本当に長い時間ありがとうございました。