国家賠償請求訴訟
私たちは差別の根拠となる制度の変革を実現し、親の権利を回復し、親子双方の関係が心が通いあえるものであるように、援助の手を差し伸べます。 単独親権制度をこれ以上容認できません。法を私たちの手に取り戻すため、私たちは国家賠償請求訴訟に踏み切りました。
私たちは差別の根拠となる制度の変革を実現し、親の権利を回復し、親子双方の関係が心が通いあえるものであるように、援助の手を差し伸べます。 単独親権制度をこれ以上容認できません。法を私たちの手に取り戻すため、私たちは国家賠償請求訴訟に踏み切りました。
子育ては憲法13条の幸福追求権に由来する親の権利です。 婚姻中と未婚・離婚時で親の子育ての権利が現実的には違うのは不平等です(憲法14条違反)。その主因は親の権利を明示しない現行民法と単独親権制度にあります。 「親の権利は固有のもの」ということを、この訴訟を通じて確立したいと思います。
離婚は親の選択、でも親子関係は変わらない。その当たり前のことを前提に、親は(離婚しないことも含めて)これからの人生を選択できます。共同親権は子どもに対する法的なサポートになります。学校や地域社会は、双方の親をそれぞれ「保護者」とし、特別扱いする必要がなくなります。
共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会から、共同親権法改正情報、面会交流支援のイベント、シンポジウム、ニュース速報など、最新の情報をメールマガジンで配信しています。
今年1月22日付で最高裁判所から届いた上告不受理・棄却の決定後、この判決をどのように受け止めればいいのか、ぼくは一応悩み疲れてはいた。
本訴訟においてぼくは、「この訴訟は皆さんのためにしている」とは一度も言わなかった。そうでなく、「自分自身のためにしている。この思いはあなたにも共通する部分があるのではないか」と、共闘や支援を呼びかけた。
裁判ではないにせよ、過去同様の呼びかけをして、成果をなかなか上げられないことに申し訳ない気持ちになり、詫びを口にしたこともある。しかし大方その言葉は否定されている。経験の違う一人ひとりが自分自身の物語を生き、互いの立場を理解し合えて同じ夢や目的を持てたなら、それをぼくたちは仲間と呼んできた。
この数カ月の経過はこんなだ。
判決後の1月29日に予定していた院内集会を抗議集会に変え、事前に最高裁判所に「判決不受理届」という抗議文を手渡しにいった。2月16日に東京で行なっていた定例集会について今後どうするか課題を出し合い、3月9日には都内で裁判の総括会議をした。
ところで、頼んでもないのにしてもらった占いでは3度にわたって「いい結果になる」と言われている。そんなわけで淡い期待もあったけど結果は外れた。また他の同様の国賠訴訟では理由の中で親子関係における人格的利益などに言及される場合もあった。逆に本裁判では、婚姻外の「差別的取り扱いは合理的」と司法は敵意むき出しだった。
ではこの完敗に意味はなかったのだろうか。
責任を問われたり、批判を受けたりするかとも思ったけれど、裁判に注目してくれた人達の間で、判決後の反応は冷たいものでもなかったと思う。
不当判決が出て、抗議文もつまらないので突き返すつもりで「判決不受理」の文章をこさえているときに意見を求めた仲間は、「ほかのテーマだと違憲判断も出るのにどうしてだろう」と言っていた。それはぼくが最高裁への追及ポイントとして口にしてきたことだ。
ひと言で言えばその答えは、1月29日の院内集会で石井政之さんが言ったように、「なめていい相手」とみられたということに尽きると思う。司法の現状を追認するために、反対派のヘイトスピーチを動員してこぎつけた民法改正で、司法官僚たちは自分たちの力量を、ぼくたち同様過信したろう。
1月29日の議論で、ぼくは「司法が判断から逃げて負けたのだ」と、「司法崩壊」という言葉で司法の自家撞着について言及した。それに対する反論として石井さんは、膨大な数の死人が出て、自主交渉や訴訟が繰り返された水俣病を例に、運動自体の非力さを正直に口にしている。
また親権に関する訴訟は負けを認めれば司法が反省を迫られる。そういう意味では、一連の国賠訴訟での在庫一掃セールのような水際での殲滅戦は、司法自体の保身が理由にほかならない。
ところで、下級審の判決の中身や最高裁の不受理・棄却の司法の態度は、「逆ギレ」という言葉が当たってる。
3月の総括会議では、本件訴訟の弁護団の稲坂将成弁護士が判決について「最低のレベルのもの」とし、論点を増やさず「逃げ道のない攻め方ができた」とその理由を説明している。この日の参加者は11人。原告の一人が言ったように「やるだけやった」と前向きに振り返る意見が多かった。その中にはこの数カ月の間に活動に参加した人もいて、それが本当の成果なのかもしれない。
親権問題に限らず、ぼくは多くの市民運動をしてきた。一撃を加えて快哉することはあっても、9割9分快勝することはない。だからどうやって負けるか、がたいがいの市民運動の関心事である。
しかしこの裁判に関しては「やることに意義がある」だけでなく、「勝つためのことをする」とみんなに宣言した。勝算がないわけでもないと思ったからだ。
負けてみんなに顔向けできないなとがっかりしていたぼくに、「どうして勝てないんだろう」という憤りも、「2人だけでも最高裁前に申し入れに行きましょう」という声掛けも、負けた総括会議に足を運んでくれる新しい仲間の存在も、歳月の分だけ年を重ねた仲間たちの表情も、この裁判の成果だったと今気く。
この裁判は多くの人の手で担われて支えられ、終盤になってもその数が増えることはあれ減ることはなかった。司法にとって、それは脅威であったろう。同様の国賠訴訟が判決を受け入れ自然消滅する中、ぼくたちは結集軸を作り続けた。
ファイティングポーズをとり続けるぼくたちに対し、目障りな勢力を一掃するのも本決定の狙いだったろう。その直後、裁判所の採用情報で紹介された裁判官がXポストに取り上げられると炎上し、司法は痛烈な反撃を別の形で受けている。もはや末期症状と言える。
以上を指摘して市民運動の個人的な総括としてみたい。解散集会は6月28日に行なう。運動を続けようという声が多かった。ぼくもそうしたい。次は負けないためのことをしたいと思う。
最後にぼくの中での裁判の位置づけを述べてみたい。
この裁判はぼくと娘との親子喧嘩である。
提訴後に娘は面会交流の場に来なくなり、不履行の裁判もぼくは負け続けた。面会交流の場には、元妻の夫がこれ見よがしに現れて娘を連れ帰り交番に連れ込んで妨害した。娘が母親の手前、ぼくに過剰に反発しているのは見ればよくわかったし、もう幼くもない娘の、それが本心ではないとはぼくも思わない。
「お父さん来てくれてよかったね」と周囲の誰も言わない中、ぼくや司法決定への母親の敵意との間で娘は苦しんでいた。母親は夫に依存しながら司法を用いて対抗する。娘はそれに同調し、自らを正当化して今のところぼくの前から消えている。
目の前で反発する娘にあなたには権利があり、抱える悩みは社会の問題であり、「あなたが父を慕う気持ちは間違っていない」と、ぼくが仕掛けた大がかりなメッセージが本件裁判だ。みんなを巻き込むはた迷惑な人があなたの父親だ。
伝わったかどうかはわからない。しかしそれが、子どもたちに残すべき財産などに関心のないぼくが、娘に残したい言葉であり、使い古された言葉にすれば、教育である。(2025.4.22 宗像 充)