第9回口頭弁論

9月22日(木)15:00~ @東京地方裁判所806号法廷
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家族は誰のためのもの?

共同親権への周知の広がり

 共同親権訴訟、2月17日の第7回口頭弁論に先立ち、原告と仲間たちで毎回、家庭裁判所に申し入れた後、地方裁判所前で街頭宣伝をする。東京家裁では前回から、1階受付で所長に面談を申し入れると、総務課長と管財課長が降りてきて要望書を受け取り、その場で意見交換している。課長たちの見解を求めても押し黙るのはこれまでと同様だけど、所長や裁判官との意見交換を求めつつ、「運用は不公正」「親子関係を維持するのに何度も家裁に来る現状は税金の無駄」と伝える。

この間、共同養育支援議連会長の柴山昌彦議員が2月3日の議連総会終了後、報道陣への説明で、「一方の親の子どもの連れ去りについて、これまで『法に基づき処理』の一辺倒だった警察庁が『正当な理由のない限り未成年者略取罪に当たる』と明言し、それを現場に徹底すると答えた」という(牧野佐知子2022.02.05)。
  その後、2月10日のネットでの討論番組(ABEMA TV)で、議連の梅村みずほ議員と共同親権反対の論客、NPOフローレンス代表の駒崎弘樹が「連れ去り」をめぐって議論。ひろゆき氏(2チャンネル創設者)や北村晴男弁護士が動画で実子誘拐や共同親権に触れ、キリスト教会のサイトで親子引き離し問題への取り組みが語られるなど、当事者以外の人が共同親権について発言する機会が増えてきた。

「知られれば賛成が増える」

一方、裁判所前でのチラシ配りでは、同じ時間帯にチラシを配っていた団体の方から「共同親権って何ですか?」と聞かれている。世論の関心が徐々に高まる一方で、まだまだ行き届かない層が存在する。内閣府の世論調査(2021年10~11月)では、離婚後の単独親権制度については89・4%が「知っている」と答え、「知らない」の9・3%を大きく上回った。
 調査では、離婚した父母の双方が未成年の子の養育に関わることが、子にとって望ましいかの質問に、「どのような場合でも望ましい」が11・1%、「望ましい場合が多い」が38・8%で、全体の半数を占めた。「特定の条件がある場合には望ましい」(41・6%)も含めると9割を超えた。この結果から、「知られれば賛否が割れる」ではなく、「知られれば賛成が増える」ことが予想できる。当事者が声を上げ続けることは、世論を作るにおいて必要最低限の条件だ。

国のための家族? 個人の幸せのための家族?

 訴訟では、裁判所が積極介入する形で論戦が続く。現行民法の不平等を訴える原告に対し、裁判所は何と何が差別なのかと特定を求めた。原告側は民法818条3項の「父母の婚姻中は」共同親権とする規定(つまり婚姻外は単独親権でなければならない)が、法律婚とそれ以外の親子関係を差別するものである(つまり法律婚でしか共同親権が認められない)と主張している。
これは、親権のあるなしでの不公平の主張とは意味合いが違う。子どもが両親から生まれる以上、親子関係の固有性は、結婚という枠組みに本来収まらない。親権がないのが不公平だとすると、国が認めることで生じるにすぎない権利となり、天賦人権とは言い難い。それは、離婚はOKで未婚はダメとか、二級市民間で目くそ鼻くそ的に罵りあうことにもつながる。逆に、国が認めなければ親子関係が法的な保障されないこととなれば、国に適合的な家族の形を「正社員」になるために整えなければならないということになる。
 単独親権制度ベースに共同親権を婚姻中にだけ一部適用しているというのが現状だ。その正社員の証として同じ姓の戸籍に所属でき、共同親権が特権的に形式上与えられる。この単独親権制度=家父長制が維持され、国が求める家族の形を整えるために、親たちもまた、世間から後ろ指刺されないように子どもを鋳型にはめ続ける。共同親権運動は、国のための家族制度、親権制度から、個人が幸せになるための手段として家族を位置づけなおす。

国の法制審の迷走、草刈り場となる子どもの意思

 この間、国の法制審議会家族法制部会の議論を、「手づくり民法・法制審議会」で追っている。国の法制審は離婚時の子どもの養育について、テーマごとに議論を進めている。ところが、誰が子どもを見るべきか、共同親権についての共通認識を確立できないままの議論は、それぞれが見ている現場の現実から、事務局が出す論点に意見を出し合うだけ。かみ合いもしないし深まりもしない。税金の無駄である。国が設置を決めた子ども家庭庁についてのネーミングをめぐる迷走や、子ども基本法についての議論が低調なのも、子どもの養育の責任は第一義的には親にあるという当然の前提が、この国では共通見解にすらなっていないということの表れでもある。
 子どもの意思を家事手続きの中でどのように反映させるのかの議論は法制審議会の中でも錯綜している。子どもの発言に大人と同様の結果責任をとらせることが、単なる親の責任逃れの過酷な行為であることを、民法学者の水野紀子は主張したりする。しかしその当の本人が、子どもが「自由に」意見表明できるための基盤を損ない子どもに親を選ばせる、単独親権制度の強力なイデオローグでもある。子どもの権利条約11条による、子どもの意見表明権は、子どもが自由に欲求を表明するための環境を整える大人の側の義務でもある。男性排除の「女性の権利」は子どもの権利に優先するという点では、彼女の差別思想は一貫している。それは古臭い性役割の焼き直し、「子育ては女の仕事」の言い換えにほかならない。
 ぼくたちの訴訟は「親の権利(養育権)訴訟」だ。次回は国からの反論が予定される。現在裁判官へのハガキ送付作戦を開始した。国に対して義務を果たさせろという親の願いは、子どもの親として成長する喜び、つまり権利だ。それを損なってきたのが、単独親権制度にほかならない。民法に規定された親子関係しか保護されない単独親権制度がある限り、すべての親の権利は保障されない。親に口ごたえするのも親子喧嘩も双方の権利だ。ぼくたちは、単独親権制度の前にかき消されてきた、個人の尊厳と男女平等の回復を訴えている。

(2022.2.20 宗像充)

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