MENU

共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会から、共同親権法改正情報、面会交流支援のイベント、シンポジウム、ニュース速報など、最新の情報をメールマガジンで配信しています。

メルマガ共同親権登録フォーム
お名前 メールアドレス  *

どうする? 司法崩壊

 先日来、コロナの影響による親子断絶についての報道が度々なされている。法務省のオンラインでの面会促進でのホームページの掲示について、専門家の棚村政行氏が肯定的な立場からコメントしている。
「今回の事態をきっかけに親子が直接会えない場合にどのような交流ができるか、社会全体で考えるべきだ」
 この方のコメントを見続けて長い。過去、共同親権を肯定する発言もしてきた。
とはいっても、彼の果たす役割は行政の行為を肯定することだ。今回も、日本より厳しい外出規制をしながら、面会交流を継続している国があることを知っていると触れていながら、「それより規制の緩い日本でそれができないのはおかしい」とは言わずに、社会の問題と意味不明の発言をしている。問題があるとしたら国の方針とそれを肯定する彼のような言説であり、このような発言を許しているという点では、それはたしかに社会全体で考えるべきだろう。

 彼は慈悲深くも、引き離した側の事情と心情、子どもの心情へは思いを馳せるが、引き離された側の心情にだけは触れようとしない。子どもは女性が見るべきだというメンタリティーと、子育てへの男性の関与を否定することで、こういった評論は成り立つ。差別である。こういった専門家のコメントの積み重ねの上に、現行の制度は維持されてきた。

子ども目線に立たない国と棚村氏

 コロナで別居親子の交流は頭を使うようになった。
現在長野県に住むぼくは、コロナの問題が出始めた当初から感染者数の多い千葉県に月に一度子どもの顔を見に行く。実際問題、ぼくの場合は確率としては千葉に行って感染する可能性のほうが高いということになる。リスクを冒して出かけるのは一人の問題だけれど、東京に行って戻ってきたら東京に行ってきたとは言いずらい雰囲気になると、ぼく一人の問題ではなくなる。しかしそれを理由に行かなくなれば子どもが傷つく。
 一方、感染者数の多い地域から感染者数の少ない県に出かけていく場合は、施設などでは、他県の人と接触した子どもの出席停止措置がなされる場合もあり、自分が会うことで子どもが学校に行けなくなるのではと悩む相談も受ける。別居親のほうが気を遣ってオンラインを提案すると、交際中はスカイプで話していたのに、やり方がわからないと言って断られることもある。棚村さんは、別居親から母子が感染させられる危険しか想像していないかのように見えるが、こういったさまざまに出てくる問題は、オンラインでの子育てを促進すべく社会で話し合うべきことなのだろうか。

 日本のように、月に一回程度しか子どもと会えない状況では、「接触させる」面会交流をどうすべきかということになる。しかし問題は、時間が限られていても、一方の側の子育ての時間を他方が制限することができるのかということだ。棚村さんは根拠も言わず制限できるという。しかしそもそも子どもを育てるのが親だとすると、危険性の判断も人によって違うのに、どうして他人にそんなことが言えるのだろう。言えそうにないなと気づいた国は、親子関係は外出規制の例外とした。なぜなら、子どもから見たら、双方の家に行くのは帰宅なので、外出ではないからだ。つまり棚村さんの視点は子ども目線ではない。

司法崩壊を早期に収拾させる特効薬

 学校が親との接触を規制するかどうかを決めるのではなく、子育てを行う親との関係を尊重しつつ、どう子どもの学習権を確保するのかを学校は考えることになる。なにしろ学校は親の委託を受けて子どもに教育を施す場所である。
県をまたいだ移動をせざるを得ない親子には、検査を受けられる体制を整える、県をまたいで別居親子が移動することがあることを啓発する、その際の移動手段の安全性を担保して援助するなどやれることはある。
 ぼくは障害者介助の仕事で月に一度東京に行くが、支援者が自らの安全だけを理由に、支援を打ち切ったり、面会交流のオンラインを提供しても、利用者は大切にされていると思うだろうか。障害者介助がオンラインで代替できないように、子育てもオンラインで代替できないし、そもそも子どもが障害者でオンラインはダメなんです、という相談もある。

 想像したように、外で仕事をする男性が、妻に言われて家に帰れない事態がコロナによって生じている。これは「家を守るのは女だから」という理屈で肯定されるべきことなのだろうか。であれば、男性の命は女性より不当に軽く扱われることも肯定しないとならない。たとえば解決策は、子どもは施設や親元にあずけて両方が働く、というものもあるはずなのだ。
 面会交流をオンラインに代替して肯定する発想の背景には、性役割の固定観念があり、日本の裁判所やそのOBの支援組織、周辺の学者の意識も、面会交流を子育てだとは言わないし、思わない。そして、そういった彼らの感覚と、専門家の無責任なコメントが、家庭状況に応じた目安も作らずに、常日頃から調停を意味もなく回数を重ねさせ、その挙句にコロナで調停の無期延期という司法崩壊を招く結果につながった。DVやハーグ案件は裁判を実施していると触れているのに、国内の面会交流は放置する。彼らの基準は公平性ではなく声の大きさだ。


 法務省が、双方の親との関係維持はコロナの自宅待機とは別になされるべきだと指針を出していれば、司法崩壊は未然に防げた。そしてこれは今も司法崩壊からの回復のための特効薬だ。オンラインの提唱は、それが保障されているなら代替的な措置として双方の合意を生むことも可能だが、会えるかどうか補償もないところで、オンラインを提唱すれば、むしろ代替措置をめぐっての当事者間の紛争の材料を増やすだけだ。

当事者から学ぶ意思がない専門家や役人たちに、こういった想像力は働かない。

(宗像 充)